仁賢天皇は、即位する前の物語において、「意祁命」と出てくる。ところが、
真福寺本などに拠れば、帝紀部分には、「袁祁王兄意富祁王」と出てくる。
むろん「意富~/袁~」の組み合わせは、「大~/小~」の組み合わせだ。
そのさいに、「祁」か、もしくは、「(母音)+祁」という音形の言葉が存在して,
それに「大~」を被せたのが、「意富祁」である。このように捉えられるだろう。
#ここで、「意富祁」>「意祁」の変化が起こりやすいとすると、
#「(母音)+祁」の母音部分は、元の言葉が四母音だとして,
#その四母音(a, i, u, e)のうちの「u」ではないか、と思われる。(※この頭母音の有無については不明)
#「小本杼」が「袁本杼」で、「大富杼」が「意富富杼」なのは、
#「本杼」(富杼)の一音節目が「CV」で、「C」を脱落させると、(※「C」は子音の意、「V」は母音の意)
#「意富」以下の言葉が、あまりにも判らなくなるから、だろう。
#下で述べる様に、「意富祁」>「意祁」と変化するとすれば、
#「意富富杼」>「意富杼」の変化も、無いとは言いきれない。(※むしろ有ると考えたほうがよい?)
#この点は、「大戸比売」の「大戸」を捉えるうえでも、重要か。
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とにかく…真福寺本の系統の写本を尊重すれば、物語中の「意祁」は,
「意富祁」であると言うしか無く、又、「意富祁/袁祁」の組み合わせは、
一般的な「大~/小~」の組み合わせである。このように理解してよい。
そのとき、例えば、「意富斗」>「意斗」といった変化の可能性も出てくる。
「大戸」(意富斗)>「大戸」(意斗)ならば、これは、「音」(意登)に掛かる。(※掛詞は甲乙相違を認容)
ここで、「音」(意登)と「歌」(宇多)が、母音のみ異にする同源の言葉なら,
くつ子さん御指摘の漢語の「嘔吐」は、さらに、「歌」(宇多)にまで結びつく。
イメージは違っても、どちらも、「口」から吐出するもの、という点は共通する。
ちなみに「大戸」(意富斗)は、印欧系の「auto」(自身?自動?)にも掛かる。
連濁で読んでもよいので、「大戸」(意富杼)は、実は、「意富富杼」に掛かる。
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長々と書いてきたが、最後の一行に書いたことは、紛れもない事実と言うべき。
それが証拠に、ゲマトリアに於いても、【XWA BA RBA】(大戸比売、328)は、
【XDWA RBA】(意富富杼、328)と重なる。これに鑑みて、「大戸」(意富杼)が,
「意富富杼」(大きな富杼)=「大喜び」=「大きなブクブク」を含意することは確実。