(…先に前項“「秋津」=「飯豊」=「青海」=「シリウス」である”を見よ…)
>山常庭 村山有等 取与呂布 天乃香具山 騰立 国見乎為者
>国原波煙立龍 海原波加萬目立多都 怜𪫧国曽 蜻島八間跡能国者
(※万葉集・巻一・2番)
「夜麻登」(山常・八間跡)には群れを成す山が有るけれども、(そのなかで特に)、
とりよろふ天乃香具山に登り立ち、国見をしたところ、国原では煙が立ちに立つ。
海原ではカモメが立ちに立つ。(ああ本当に) うまし国ぞ、蜻蛉島ヤマトの国は。
この舒明天皇の歌で、「天乃香具山」という山が、国見をする山として描かれる。
具体的には、「天乃香具山」に登り立って、「蜻蛉島ヤマト」の国を見るのである。
もちろん、当該の「蜻蛉島」は、「大倭豊秋津島」の「秋津島」に同じ。「アキツ」だ。
* * *
>春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
(万葉集・巻一・28番)
ところが、「天乃香具山」=「天之香来山」が、「秋津島」(蜻蛉島)を見る山だとすれば、
「春過而 夏来良之」の時期、つまり、春三月が終わって、夏四月が来る、その時期は、
そもそも、「akītu」[A.KI.TU]という祭の時期(ニサンの初日)だから、「秋津」(蜻蛉)は、
メソポタミアの「akītu」[A.KI.TU]を意識する。そう言えよう。つまり、持統天皇御製歌も、
「akītu」[A.KI.TU]という祭を示しつつ、「大倭豊秋津島」を歌っている…という話だろう。
#前項で見たように、「倭」(夜麻登)=「ya mâtu」(不死)=【LA MW十A】(不死、601)は、
#「iṣṣur kilīlu」(冠の鳥)=「飯豊」(ふくろう)=【YMA YWRQA】(青海、601)を含意する。
#そして、その「kilīlu」(冠)は、「kulīlu」(蜻蛉)を含意する。「蜻蛉島・夜麻登」の「蜻蛉」は、
#「飯豊」(ふくろう)=【YMA YWRQA】(青海、601)=「シリウス」を含意する。そのさい、
#本家(?)の「akītu」[A.KI.TU]も、同じく、「飯豊」=「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意。
#「秋津」(アキツ)も、「蜻蛉」(アキツ)も、「シリウス」を表すものとして存在するという話。
#以上からして、「香来山」の「香来」(カク)は、「kak」(爪)=「シリウス」を表すと言える。