飯島紀の本を見ると、アラム語の【KLYL】(冠、130)は、「富」の意味を持つ。
この場合には、「iṣṣur kilīlu」(冠の鳥)とも呼ばれる「ふくろう」も、「富」を含意。
【KLYL】(冠、130)も「iṣṣur kilīlu」(梟)も、「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意。
* * *
ところが、日本では、「豊御食」と同じものを表す「飯豊」が、「梟」の意味を持つ。
そもそも、「飯豊」は、その漢字の意味から、「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意。
又「iṣṣur kilīlu」(梟)も、【KLYL】(富、130)=「mašrû」(wealth)=「Sirius」だから、
「mašrû」(wealth)を共通項として、「豊御食」=「飯豊」=「ふくろう」、なのである。
#既稿を見よ。Wikipediaに載る通り、マルクス・マニリウスは、4世紀のAvienusと同様に、
#「シリウス」を「海の青」と表現している。然るに…古事記は、「青海郎女」の別名として、
#「飯豊郎女」を載せる。「飯豊」(=冠の鳥)は、「シリウス」の意匠であって、それだから、
#この「飯豊」(=冠の鳥)が、「青海」にも作られる。そう理解するしかないのではないか。
* * *
古事記の島生み・国生みに於いて、「大倭豊秋津島」に当たるのは、まさしく、
【星】=【M】=「五十」、即ち、「飯豊」=【YMA YWRQA】(青海、601)であり、
この場合、「倭」(夜麻登)=「ya mâtu」(不死)=【LA MW十A】(不死、601)、
と見るのが良い。「kilīlu」(冠)>「kulīlum」(小さな冠)≒「kulīlu」(dragonfly)で、
「飯豊」(=冠の鳥)は、「秋津」(蜻蛉)を含意。翻って言うと、「秋津」(蜻蛉)は、
実のところ、「豊御食」=「飯豊」=「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意するのだ。