「鹿葦津」が表す「kāšidu」(conquering)は、言い換えれば、「Νίκη」(victory、88)。
即ち、「littu」[NÍG.È](力)=【XYLA】(wealth、71)=「Sirius」を含意すると言えよう。
その際、「吾田鹿葦津姫」の「吾田」(阿多)は、少なくとも、【A十A】(印、504)を提示。
なぜなら、この【A十A】(印、504)は、【ΣPWDA】(矢、504)=「Sirius」に重なるので。(※「曽富騰」だ)
#さらに言うと、「kāšidu」(conquering)の元の動詞、「kašādu」[KUR](to conquer)は、
#「to reach, arrive」や「to complete, accomplish」の意味も持つ。この点を踏まえると、
#「吾田」(阿多)は、発音に拘らず、【A十A】(to arrive、504)を提示する。そう言える。(※以上は既述)
#確認しておくと…「kašādu」[KUR](to conquer)>「kāšidu」(conquering)なのだから、
#「大山祇神──鹿葦津姫」の親子において、「kur」(山)も、「kāšidu」(conquering)だ。
#「māl」(山)=「māl」(wealth)=「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意する…分かり易い。
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又…「kašādu」[KUR](to conquer)>「kašdu」[KUR](successful)>「kašittu」(success)。
ここで、「kušīru」(success, profit)等を踏まえるなら、「鹿葦津」が提示する、もう一つの語、
「kašittu」(success)は、やはり、【MLWAA】(profit、101)≒【MOLA】(crop、172)を含意。
ならば、「māl」(山)=「māl」(wealth)=「mašrû」(wealth)=「Sirius」を含意する。根幹には、
結局のところ、「kur」(山)=「māl」(山)=「mašrû」(wealth)=「Sirius」が存在するという話。
この「kur」(山)のニュアンスは、要するに、「麻羅」=【MOLA】(produce、172)なのである。
どちらにしても、以上から、「吾田鹿葦津姫」の「鹿葦津」(カシツ・カシヅ)は、結局のところ,
シリア語で言えば、【KΣΘA】(弓宮、442)とか、【KΣΘA】(矢、442)=「シリウス」を表す。
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ちなみに、エジプトの言葉に、「❛ḥ❛」(aḥa)があり、これの意味は、「積み重ね、山、富」、
ないし、「貯蔵食糧、富、積み重ね」と載る。「多坐弥志理都比古」における「多」(意富)は、
まさしく、当該の「aḥa」(山、富)だろう。「弥志理都」=「miširtu」(produce)に全面的に合う。
「意富」(mount)も、「弥志理都」(produce)も、「mešrītu」(wealth)=「シリウス」を含意する。
ひとこと補足。「❛」(アインに相当)も、子音だから、発音が「ア」とは限らない。これに注意。