>終わりの日 神 唯お独り 立たれる
>メンフィス北方五〇km アスランタの町
>帽子の男
>ふくろうの目に気を付けて行くこと
(※『光の黙示録』214頁より)
「メンフィス」(白壁)は、歴史的事実として語られていることから、
「サンカ」(三勾)の末裔が居るという「白檮原宮」であり、其処に、(※「畝火之白檮原宮」と載る)
「御陵は畝火山の北方の白檮の尾の上に在り」との記述が残る。
「終わりの日」の「終わり」は、「kun」(尾)を指すと見て、大過ない。(※【奎】(双魚宮=龍宮)を表す)
今、「終わりの日」の「をはり」(尾張)、即ち、【AXRYA】(333)は、
【ΣWLMA】(end、499)=【KWΣNA】(the bitter vetch、499)。
「訶恵志泥」(孝昭天皇)が、「尾張」の系統の娘を娶る点に合致。(※【奎】に当たるのが「訶恵志泥」)
【奎】=【G】=「四」は、【GML】(camel、94)…その数価に要注意。
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とりあえず、【ALHA】(神、50)は、「ふくろう」(冠の鳥)である。(※【OWDA】(梟、94)に注意)
然らば、「唯お独り 立たれる」と表現される「神」は、一つには、
「神倭伊波礼毘古」(=帽子の男)であって、「メンフィス北方」も、
古事記で言う「畝火山之北方」ということになる。「帽子の男」が、
「ふくろう」(冠の鳥)と言い換えられている。そう捉えて大過ない。(※ここまでは既述)
又、「哭く時に、御涙に成れる神は、香山之畝尾の木本に坐す、
名は泣澤女神なり」とあり、「畝尾」も「畝火」に掛かる。もちろん、(※「畝尾」を湯桶読みする)
「香山」は「畝火山」ではないが、「香山之畝尾」の全体において、
「畝火山」を髣髴とさせる。よって、当該メッセージの「五〇km」は、(※「五十」は「イ」と訓む)
アッカド語の「ikkillu」[AKKIL](lamentation)を表す。こういう話だ。(※「clamour」や「uproar」も載る)
#即ち、「伊波礼毘古」(神武天皇)の御年の「壱佰参拾漆歳」(137歳)は、
#少なくとも、【DMOA】(涙、137)を表す。「dimtu」(涙)を表す。結果的に、
#「dimtu」(tower)=【BY十 XWRA】(白い家、841)=「メンフィス」を表す。
#要するに…「白檮原宮」は、最初から「dimtu」(涙)を含意する、ということ。
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極めて大事なのは、辞書の「ikkillu」[AKKIL](lamentation)の記載に、
「of army, child, mourner」とあり、更に「of thunder, earthquake」とある。(※特に「雷」(thunder)が大事)
その点だろう。「dimtu」(塔)のカードは、「dimtu」(涙)のカードであった。(※既稿を参照)
当該のカードには、「雷」が描かれ、「帽子」が描かれ、「涙」が描かれる。
伝統に則る形で、「雷鳴」の結果としての「涙」(銀の月の粉)が描かれる.
生ずる具体的なイベントを、伝統的な言葉に載せて表現しているわけだ。
「ふくろうの目」に於いて、「目」(伊怒)は、「dimtu」(塔)のカードを指し示す。
且つ、「ふくろう」=「冠の鳥」=「帽子の男」は、【KLYLA】(冠、132)を示す。(※「人魚の涙」に呼応する)
「メンフィス北方五〇km」にある「木幡」(許波多)は【QWPDA】(梟、304)だ。