形式論を展開する。「下照比売」は、「下光比売」にも作る。そのことから、
「天照大御神」の「天照」は、【NWHRA D・ΣMYA】(天光、852)であり、
【ΣMΣA】(utu、852)である。結果的に、「天照大神」は、「日神」なのだ。
* * *
「正勝吾勝勝速日~」は、本来は、「須佐之男」の子である。更に、
「勝速日」は、「迩藝速日」である。又、「正勝吾勝」(maškakātu)も、
「鉏」(すき)なので、「šību」[ŠU.GI4](老人)・「littu」(年)を含意し、
結果的に、「lītu」[NÍG.È](勝)を表す。「ニギハヤヒ」(トシ)を表す。
然るに、「須佐之男」は、「神大市比売」を娶り、「大年」を設けている。(※「御諸山」の上に坐す)
ARIONは、「ニギハヤヒ」(トシ)の母に関しては詳らかにしていない。
しかし、「天照」のモデルを「卑弥呼」とする説は、昔から存在している。
「箸墓」(大市墓)の「百襲姫」を「卑弥呼」とする説も、また、有力である。
いわゆる政略結婚が、スサノヲとアマテラスの宇気比に反映するならば、
政略結婚により生まれた後継者が、「正勝吾勝勝速日~」(迩藝速日)で、
したがって、実は、「神大市比売」こそが、「天照大御神」という話にもなる。
日本列島への上陸は、いわゆる日向族のほうが先である点に注意したい。