形式論であることを断りつつ、「神君・鴨君」において、本源的なのは、
どちらか。あるいは、どちらが本源的と言いたいのか。これを論じよう。
* * *
おそらく…「鴨君」のほうが本源的である。なぜならば、以下のゲマトリアが在るからである。
「梅」(U.ME)=【BR QWQYA】(apricot、732)=【MRYA HWLA RBA】(大物主、732)。
「美和」の「大物主」と呼ばれる。当該の「美和」は、もちろん、【MHWA】(メの神、65)である。
それを象徴する「梅」(U.ME)が、【QWQYA】(potter、429)の【BR】(son、303)、ということは、
【QWQYA】(potter、429)=【ΣBΘA D・GD】(ガド族、429)が先行する。即ち[GUD](牛)が。
#ちなみに、「gud」[GUD](牛)の言い換えである「lammar」[KAL](Lyra)は、
#「kal」[KAL](珍)を含意する。驚くべきことに、アッカド語の「aqāru」(珍)は、
#「waqāru」(珍)とも「maqāru」(珍)とも言う。即ち、梵語の「makara」(磨蝎)も、
#当該の「maqāru」(rare)と同根である。もちろん、古事記の「阿加流比売」は、
#仮名表記の「阿加流」が「aqāru」(珍)を言う…「lammar」[KAL](Lyra)を言う。