(……まず先に前項をお読み下さい……)
前項を咀嚼してうえで、さらに日本書紀を読み進めると、
垂仁天皇二十五年には、いわゆる「五大夫」が出てくる。
「中臣連遠祖大鹿島」とあり、「和珥臣」「物部連」が並ぶ。
・阿倍臣遠祖武渟川別
・和珥臣遠祖彦国葺
・中臣連遠祖大鹿島 ←この人物は、不分明
・物部連遠祖十千根
・大伴連遠祖武日
この年は、自らの希望で「天照大神」が「伊勢国」に鎮座。
異伝に従えば、さらに、「倭大神」あるいは「大倭大神」が、
「大市長岡岬」の祠に祭られることになる…以下の通りだ。
* * *
>是時、倭大神著穂積臣遠祖大水口宿禰、而誨之曰、
>「太初之時期曰、天照大神悉治天原。皇御孫尊専治葦原中国之八十魂神。
>我親治大地官者。言已訖焉。(………中略………) 」
>時天皇聞是言、則仰中臣連祖探湯主、而卜之誰人以令祭大倭大神。
>即渟名城雅姫命食卜焉。因以命渟名城雅姫命、定神地於穴磯邑、
>祠於大市長岡岬。然是渟名城雅姫命既身体悉痩弱、以不能祭。
>是以命大倭直祖長尾市宿禰令祭矣。
(※垂仁天皇二十五年に載る「一云」から引用)
此処に、「中臣連祖探湯主」と出てくる。この人物は、関係は不明だが、
「中臣連遠祖大鹿島」と同時代人である。允恭天皇四年九月を見れば、
「盟神探湯、此には区訶陀智と云ふ」とあり、故に「探湯主」の「探湯」は、
「区訶」(クカ)と訓まれている。「玖訶瓮」の「玖訶」と同じだ。この人物は、
【QWQYA】(potter、429)と見てよい…【KPWRA】(pegans、429)である。(※【PXLA】(鴨、141)である)
#「中臣連祖探湯主」は、言ってみれば、「鴨」の系統の中臣連だ。
#その淵源は、記録の範囲だと、いわゆる神武東遷の時代だろう。
#「中臣氏之遠祖」とされる「天種子」が、「菟狭津媛」を娶った時に、
#たしかに、【WZA】(鴨、17)の系統の中臣氏が成立しているのだ。
#こういう訳で、ますます「興台産霊」の位置づけが重要なのである。