日本書紀を見ると、神代紀の第七段正文に、「中臣連遠祖天児屋命」とあり、
第七段一書第二に、「中臣遠祖天児屋命」とある。更に、第七段一書第三に、
「中臣連遠祖興台産霊児天児屋命」とある。ここの「興台産霊」が問題になる。
#神代紀の範囲だと、第九段一書第一にも、
#「中臣上祖天児屋命」と載る。「天児屋」は、
#どの伝承にも共通する。これは、後考する。
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>行きて筑紫国の菟狭に至りたまふ。菟狭は地名なり。此には宇佐と云ふ。
>時に、菟狭国造が祖有り。号けて菟狭津彦・菟狭津媛と曰ふ。
>乃ち菟狭川の上に一柱騰宮を造りて饗奉る。一柱騰宮、此には阿斯毘苔徒逐鞅餓離能宮と云ふ。
>是の時に、勅して菟狭津媛を以ちて、侍臣天種子命に賜妻せたまふ。
>天種子命は、是中臣氏が遠祖なり。
(※神武天皇即位前紀より)
然るに、続けて日本書紀を読み進めると、神武天皇即位前紀に、
「神日本磐余彦」(諱は彦火火出見)の侍臣であった「天種子」が、
「菟狭津媛」(記は宇沙都比売に作る)を娶ったとする記事がある。
この「天種子」は、「天児屋」とは別系統の可能性も考えられようが、
「天種子命、是中臣氏之遠祖也」と明記する…鵜呑みにするならば、
いわゆる中臣氏は、早くから、「宇沙」(鴨)と縁戚関係に入ったのだ。
#しかし…そもそも、「宇沙」(鴨)は、【KPWRA】(pegans、429)であり、
#【QWQYA】(potter、429)である。【QWQY十A】(興台、929)である。
#即ち、「菟狭津媛」は、「興台産霊」の系列に入る者である。その場合、
#最初から縁戚関係にある者どうしで、結婚しているだけ。こういう話だ。