「太秦」を考える(その1) | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

Wikipediaに、「天照大神を太一とする解釈がなされることがある」とある。
根拠があるかは分からないが、それらしき後世の実態があるのは確か。

 

*   *   *

 

ここで、真剣に考えてみるに、「秦」(はだ)は、【XD】(一、14)だから、

言うところの「太秦」(うづまさ)は、当該の「太一」。これが何だろうと。

然るに…今「うづまさ」の語構成が「うづ・まさ」とした場合、少なくとも、

「うづ」は、まさしく「ud」(太陽)ないし「utu」(太陽神)を含意。このさい、

残りの「まさ」が宙に浮くとはいえ、「太一」を「日神」と見る余地はある。

 

#【YΣWO MΣYXA】(988)が転じて「うづまさ」(太秦)、

#という説が流布するが、ちょっと厳しい。そういう評価だ。

#「うづ」(太陽)を、「まさ」(未詳)が修飾していると見たい。