>師木から白犬をもらうのも若健ですし、師木と健はつながってるかなと思います。
(※スーパー読者より)
古事記を読むならば、「師木」&「建」は、二重に三重に繋がっている。
たしかに「志幾之大県主」が唐突に登場するのは、雄略天皇条である。
「志幾之大県主」が飼っていた(…と想定される)「白犬」は、「布」を縶け、
「鈴」を著けて、「能美能御幣物」として、「大長谷若建」(雄略)に献上され、
「白犬」が関与しながら、「志幾」(シき)&「建」(タケル)が結びついて居る。
これは、「倭建」が「倭」を負いながら、「留河内国之志幾」と記述されることと
よく呼応する。此処で、まさしく「志幾」(シき)&「建」(タケル)は連結している。
・河俣毘売──師木津日子玉手見──師木津日子──蝿伊呂杼──若日子建吉備津日子
・若建吉備津日子──針間之伊那毘能大郎女──小碓(=倭建)…………志幾之大県主
当該の「河内国」の「志幾」は、訓字で書かれる「師木」に重なるものだ。
何故ならば、もともと「小碓」(倭建)の母の「針間之伊那毘能大郎女」は、
上記系譜の通り、「師木県主」の系譜に位置づけられる…そうである以上、
「師木県主」の系譜に位置づけられる者として、「志幾」に留まったのであり、
訓字の「師木」(シき)と、仮名表記の「志幾」(シき)は、本質的に同一だろう。(※「阿遅志貴」の「志貴」(シき)も)
ところが、書紀を見ると、「時白狗自来、有導王之状、随狗而行之、得出美濃。
吉備武彦、自越出而遇之」と記され、「日本武」を「白狗」が導き「武彦」も絡む。(※古事記の「建」を書紀は「武」に作る)
#且つ、今日でも「河俣」に鎮座する神社の、いわゆる狛犬は、
#「鈴」を著けている…ワン・アンド・オンリーかどうかは別として、
#かなり珍しい意匠であることは確かだ。ここで民俗学的要素を
#文献学的要素に混入させることには、慎重を期すべきとはいえ、
#何らかの伝承の保持の結果であるとすると、「河内国之志幾」は
#「河俣」であるとさえ、想定できるのである。但し、古墳が立地する
#地理的環境ではない。河口に位置するからだ。しかし、逆に言えば、
#【PWMA】(口、149)~【OLY十A】(股、642)の連鎖が在ることから、
#「河俣」は「河口」である必然性を有す。【OLY十A D・NHRA】(河俣、
#1015)~【留】(10月15日)という連鎖に依拠して、「留河内国之志幾」に
#作ったということであれば、【OLY十A D・NHRA】(河俣、1015)である。