学問と言いながら戦前までの日本の学問は、いい加減な話も多かった。
そうした類は、現在は切り捨てられている。これはこれで真っ当な話だが、
全く振り返るべき部分が無いかと言えば、そうでもない。故・木村鷹太郎が、
日本神話を、悉くギリシャ語で説く珍説(?)を主張したことは、よく知られる。
そのなかで…“「登岐士玖」の「迦玖」の木実”の、「登岐士玖」という言葉を、
射手座を意味するギリシャ語としたのは、当たらずしも遠からずだ。それは、
希臘語(Τοξότης、トクソテス)から、梵語(तौक्षिक 、タゥクシカ)へと流入、(※「タ・メタ・タ・ポーネーティカ」を参照)
これが漢訳仏典などを通じて日本へ入ってきた道筋も想定できるからである。
* * *
併し、もう少し詳しく考えてみたい。注目すべきは、梵語の「kāshtha」(カーシュタ)。
これは、「Kubera」の従者の一人の名前と言われる。一般に「木」や「材木」を意味し、
「measure」(長さを計る道具)も意味する。また、「木」を切ったり、成形したりすること、
あるいは、そういう仕事を為す「carpenter」(木工)を、「kāshtha-takshaka」と言うのだ。
そういう職掌の人物と言えば、日本書紀・雄略天皇条の「木工韋那部真根」だ。此処で
「真根」(マネ)の名は…字義的に「真に根である者」を意味し、【ΣRΣA】(根、1102)は、
【QΣ十A】(弓宮、1102)に通底する…結局のところ、梵語の「kāshtha」(木)に通底する。
ところが…太陽占星術の【QΣ十A】(弓宮、1102)に当たるのは「觜月」(霜月)であり、
月宿の【觜】に当たる天皇は、古事記に於いて、「御真木天皇」と呼ばれる。したがって、
「御真木」(真に木である者)という表記では、梵語の「kāshtha」(木)の上に、シリア語の
【QΣ十A】(弓宮、1102)が重ねられている。そう考えられよう。此処までは、かなり明快。
よく考えてみれば、そもそも「takshaka」(タゥクシャカ)の意味は、「cutter」(切る者)であり、
元の動詞「taksh」は、「paring」(剥くこと)を、そして、「taksha」は、「cutting through」を意味。
「登岐士玖」の木実という表現に於いて、「登岐士玖」とは、「木を切る者」(木工)の意である。
#希臘語の「τοξότης」(いわゆる射手座)の元々の意味は不明ながら、
#梵語の「तौक्षिक 」(いわゆる射手座)の元々の意味は「木工」(carpenter)だ。
#此処には、梵語の「kāshtha」(木)や、シリア語の【QΣ十A】(弓宮、1102)も、
#重層している。そうである以上、木村鷹太郎の旧説も、間違いなく支持できる。