日本書紀の読み方の一例 | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

>垂仁15年……320年(2月10日に「丹波五女」が入る。8月1日に「立日葉酢媛命為皇后」)
>垂仁32年……337年(7月6日に「日葉酢媛命薨」。これに関連して、「土部」の記事も載る)

西暦320年の2月10日に、「丹波五女」が掖庭(いわゆる後宮)に入る。
そして8月1日に、そのうちの「日葉酢媛」が皇后に立てられる。此処で、
そもそも西暦320年に設定されるのは、「日葉酢媛」の父の名前に因む。
「日葉洲姫命、丹波道主王之女也」とあるが、「丹波」は地名…要するに、
父の名前は「道主」なのだ。後接する「~主」も固有性は無い。という訳で、
【AWRXA】(道、320)という名前に因り、娘の「丹波五女」が後宮に入った。(※「狭穂姫」の死後10年間は皇后不在)

「大伴」の祖は「道臣」にも「日臣」にも作られるが、これは、「みち」という言葉が、
ソグド語の「太陽」に由来するからだ。「大鞆和気」(応神)は【星】(師子宮)だから、(※照応表を参照)
当然「道主」は【ARYA】(師子、324)に直結している。「日」は魔方陣の「九」を表す。
この魔方陣の「九」は季節で言えば【QYΘA】(夏、232)。仲夏は「心月」(夏五月)だ。
しかも魔方陣の「九」には【AWRGA】(斑、315)が照応し、【角】(3月15日)に連結する。
「心月」(夏五月)は「陰陽宮」である。さらに加えて、「角月」(春三月)は「白羊宮」である。

そうした前提が在るので、【井】(2月10日)が「陰陽宮」を表し、その一方で、
西暦337年が【DKRA】(白羊宮、337)を表すことも、悉く魔方陣の「九」から、
理解可能である。ここで【井】=【Y】=「廿」だが、この【Y】(Yod、20)の綴りは、
【YWD】(Yod、32)であり、これが、正しく垂仁32年・西暦320年に繋がっている。
また【∑十YN】(六十、980)~【十∑O】(九、980)~【十WRA】(青牛宮、809)の
連鎖も在る。【張】=【N】=「六十」=「十五」だから、垂仁15年も、同じ枠組である。(※【張】(8月1日)も)

#【井】(2月10日)~【NYSN】(ニサン、210)~【十WRA】(青牛宮、809
#という連鎖にも注意。また【軫】(7月6日)は【OWRBA】(烏、392)だから、
#【GRBYA】(北、329)に連結し、魔方陣の「九」に連結する。そういうことで、
#垂仁15年(西暦320年)の記事と、垂仁32年(西暦337年)の記事は、月日が、
#悉く【AWRXA】(道、320)が示すところの、魔方陣の「九」から導出されており、
#核心的事柄は、【AWRXA】(道、320)~【YWD】(Yod、32)~【井】という連鎖だ。(※「陰陽宮」は仲夏に当たる)
#この連鎖は魔方陣の「九」に繋がっている。【ARYA】(師子、324)に繋がっている。
#実は【軫】(7月6日)~【DKR W・NQBA】(男と女、607)~「男女宮」の連鎖も在る。(※「陰陽宮」の別名)
#垂仁32年だからこそ、【AWRXA】(道、320)の娘が「男女宮」を表す月日に崩御する。
#このようなロジックを用い、日本書紀の出来事も、史実に擬えつつ、コントロールされる。