いわゆる「大伴門」の位置づけ | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

創世記35-8に【BΘM十A D・BK十A】(嘆きの白橿、1105)と出てくる。
である以上、アリオン預言の【AWRXA D・BK十A】(嘆きの道、860)が、(※「三九」(39)のメッセージ)
【BK十A】(嘆き、535)の【AWRXA】(道、320)を析出する。いずれにせよ、
【BΘM十A】(白橿、565)は【NHRA D・KSPA】(銀河、565)と全く重なる。
創世記1-2の【十HWMA】(深淵、565)と全く重なる。さらに言うなら、これが、
【十MWZ】(タンムズ、565)と重なる。したがって、「女月」(文月)とも結びつく。

>三七、   獅子の門を目指して行けよ      ← 【十ROA】(門、882)は「鳥居」の語源か
(※『光の黙示録』182頁より)

その「女月」(文月)は、太陽占星術の【ARYA】(師子宮、324)に該当するが、
【十ROA D・ARYA】(獅子の門、1211)は、傍通暦の【畢】(12月11日)を表し、
【畢】=【Z】=「八」。故に【十MNYA】(八、632)…即ち【十YMNA】(南、632)だ。
事実、いわゆる日本の「大伴門」は「南」に配置される門である。そういう訳なので、
ARIONが「獅子の門」と言う時の「獅子」は、間違いなく【ARYA】(師子宮、324)だ。
つまり、【BΘM十A】(白橿、565)は【十ROA D・ARYA】(獅子の門、1211)に関与。

#「三七」(37)という数字は、古事記の「豊御食炊屋比売」(推古天皇)の、(※「豊御毛沼」(神武天皇)に連結)
#崩御の御年である。既稿において、その名前の最初の「豊御」の部分が、
#「ライオン」(禮御)と読めることは述べた。推古天皇は「三四五」の「四」だ。
#それ故、「四×四」(シシ)に繋がっている。【XDA】(一、16)に繋がっている。(※「一」~「南」~「大伴門」に注意)
#「白橿原」に宮都を置いたのは、他でもない「伊波禮毘古」(神武天皇)。旧名、
#「豊御毛(トヨミケ)沼」が、見事に「豊御食」(トヨミケ)に繋がっていて興味深い。