ツアー旅行🚌って、
殆どしたことないのですが…
皆んなガイドさんにはお礼を言ったり
一緒に写真撮って貰ったり
コミニュケーションを図るけど…
実は一番大切にしなきゃいけないのは
運転士さんなんですって❗️
(知ってました?)
それをラスボス🦹(姉)から聞いていたので
行く前に空港で
ガイドさんと運転士さんに簡単な袖の下…
じゃなくて
お土産を用意しておきました✌️
(本当に簡単でごめんなさい🙏)
気がついたら
中国🇨🇳史好きになっていた私ですが
昔は全く
歴史に興味ありませんでした。
日本史、世界史の授業では爆睡してたし
古文漢文は0点に近い成績💦
要は教科書📕の書き方と
先生の教え方に魅力がなかったんだと思う
(↑なんでも他人のせい)
そんな私が
大人になってようやく歴史に興味を持ち
自分なりに咀嚼して
歴史や文化に興味のない人に
どう分かりやすく
ちょっとだけでも興味を持ってもらえるよう
伝えられるか?
が、最近のテーマです。
で、今回は
函谷関(かんこくかん)についてのお話
陝西省(せんせいしょう)西安は
大体中国🇨🇳の地図のど真ん中👇
見にくいけど星★がある位置が西安。
函谷関はココ★にある関所なのですが…
残念ながら今回行ったのは
漢の時代に移築され
観光用に1992年に復元されたちょっとした
テーマパーク
余談ですが
以前イタリア🇮🇹に住んでいた時、
ガイドをしている友達に聞いた話ですが
日本人は数字を言ってあげると
喜ぶらしく、
年代や距離、大きさや人口など
日本人観光客には数字を織り交ぜながら
説明するらしい。
ちなみに私は数字が苦手で
紀元前◯◯◯年とか言われるより
ざっくり◯◯世紀くらい…
日本では◯◯時代…
とか言ってもらいたい😅
話戻って
道教の教えを説いた老師の像
金ピカ✨なのが中国🇨🇳っぽい。
お、見えてきた見えてきた…
当時の函谷関の模型を発見💡
函谷関とは…
日本ではこの歌で知った人も多いはず👇
要は、天然の要塞であり
ココより西側の秦に行くための関門。
当時はこの高さの東西 8キロも連なる
断崖…黄土層の絶壁が切り立った狭間に
挟まれていて
東側の合唱軍からは「難攻不落の関門」
とされていた場所。
地形を活かした完璧な要塞…
が、始皇帝の秦だったんですね。
私は映画やドラマはラブストーリーより
ドキュメンタリーや歴史物、戦略ものが
断然好み❤️
建物に上ってみる。
黄河の下流を渡って
この函谷関を攻めてきた6か国合唱軍を
ココから迎え打っていたのかと思うと
血湧き肉躍る🤩
中国🇨🇳ドラマを観ていると
戦闘中この太鼓をバンバン叩くシーン🥁
そして奥にももう一つの関門
中国に🇨🇳来る前に
散々YouTubeやネットで検索して
予習していたのですが
来たことある人皆んな
「想像以上にしょぼい…」と言っていたけど
私はそう思いませんでした。
当時
断崖はもっと切り立って深かったと思うし
(2000年以上の時を経て風化した)
現代人は高層ビルや
大きなドーム等見慣れているけど
当時の人たちにとっては相当大きな建物と
自然要塞に思えた事と思います。
なんたって
日本はこの時まだ弥生時代ですから💦
ガイドさん👱♂️とそんな話をしながら
当時の秦に想いを馳せていたのですが…
そういえば💡
「私たち日本人、以前来た時はVISA無しで
入れた中国が、今回(多分コロナ以降?)
急にVISAの申請が厳しくなり
自分の学歴や職歴意外にも
家族や両親のものまで書かされた旨を
思い出し
ガイドの馮さんに
「中国🇨🇳人も
日本🇯🇵に来る際こんなに根掘り葉掘り
書かさせるんですか?」
と聞いてみたら…
👱♂️「中国🇨🇳人が日本に行く際
年収から財産、預金通帳の残高まで
提示させられる‼️」と聞いて
びっくりしました💦
そして、
中国🇨🇳人の富裕層は日本🇯🇵の人口と
同じくらいの数居るそう。
どおりで入国厳しくても
インバウンドが爆買いできるわけだ〜
今回私に取って
一番楽しみだった函谷関の後は
あの黄河文明の黄河です。
水位がたまたま低かったので
あまり広大な黄土の流れる大河の雰囲気は
味わえなかったけど
長江についで二番目に長い河を
目の前に観ながら黄昏ていたら…
ツアーの一人が
「なんか、多摩川っぽいよね?」
とか言うもんだから
多摩川にしか見えなくなってしまった😭
このツアー
ずっとバスで🚌移動だったのですが
この山門峡駅から西安市内までは
高速鉄道で戻ります。
通過列車がめちゃくちゃ速すぎて
思わず動画🎥撮っちゃった✌️
日本で言う新幹線🚄
速度は312キロ、快適でした。
中国🇨🇳では、新幹線🚄乗る時も
外国人にはパスポートコントロールと
全員セキュリティチェック
ちなみに地下鉄もだそうです。
西安に着いたら街中がイルミネーション