タイトルそのままなのですが、私は人の言うことを素直に聞くことができないというコンプレックスがあります。
これは子供の頃からのことで、他の人が素直に「そういうものなんだ」と思えるところを、私はどうしてもそう思えずに納得がいかないということを親に訴えていました。
そうする度に「あんたは頑固だ」とか「屁理屈ばかり言う」と言われて、随分と悲しい思いをしてきました。
あまにも母に否定されるので、私も自信がなくなり「頑固な自分がダメなんだ。みんなはうるさいことを言わないで素直に言うことを聞けるのに、私だけがおかしいんだ」と自分を否定するようになったんだと思います。
ここ数年の私はその傾向がますます強くなって、納得いかないことが多く、そんな自分を持て余してきました。
みなさんと同じように私もカウンセリング受けることがあるのですが、せっかく私のためにしてくれているアドバイスを素直に聞くことができなのです。
もちろん全てが納得いかないわけではなく、自分が違和感を感じないことはすんなり受けとることもできるので、頑固というのとは少し違うような気がします。
ただ、「人の言うことを素直に聞けない自分はダメ」と長年思い込んできているので、アドバイスを受けとれない度に自分を責めてきました。
アドバイザーさんに私自身が納得いかないことを提案されて「それはやりたくないです」と言ったところ「こんなに言うことを聞かない人ははじめてです」とアドバイザーさんを激怒せてしまったこともありました。
振り返ると、うつ病の頃も治療について納得いかない点を話したら、主治医が怒ってしまったということが2度ほどありました。
ここまで書いていておかしいのですが、人の話しを聞けないということに自分がものすごくコンプレックスを持っていたことに気づいたのは、実はつい最近のことです。
NHK連続テレビ小説(通称朝ドラ)の「朝が来た」 を観ていてこのコンプレックスに気づきました。
このドラマは、幕末から明治大正期の日本で炭坑を手がけ、その後銀行や生命保険会社を作り、日本初の女子大学設立のために生涯を尽くした広岡浅子さんの人生模様を元にしたフィクションです。
主人公のあさは幼い頃より、いろいろなことに疑問を感じて「なんでどす?」と周りの大人にその疑問をぶつけます。
「なんで女子はお中元やお歳暮みたいにもらわらなあかんの。やっぱりへんやわ。」
お嫁さんとしてもらわれることを「そういうものだから」とすぐに受け入れるお姉さんのはつと違い中々そのことが納得いかないあさ。
このドラマみはじめて、最初は「なんでどす?」とあさが繰り返し疑問を投げ掛ける姿が自分と重なりました。
私も子供の頃「なんで?どうして?あれは何?」と次から次へと不思議に感じたことを母に聞いていたからです。
ああ、この子は私と同じようなところがあるなぁと、微笑ましく観ていました。
そのうち、あさが「なんでどす?」と言う疑問にを口にするのは、自分が納得いかないからだということに気づきました。
私はそれまで「なんで?、どうして?」と聞くのは好奇心の現れだと思っていたのです。
知りたい気持ちが強いから、「なんで?、どうして?」とやたらと聞きたくなる。
それも間違いではないと思うのですが、ドラマを観るうちに、自分が納得いかないから「どうしてそうしないといけないのか?」と疑問に思い、受け入れることができないということに気づきました。
ドラマで姉のはつが「そういうものだから」とお嫁さんにもらわれることを当たり前のように考えていたように、他の人がすぐに受け入れられることが、私にはどうしても納得できなくてついつい抵抗してしまいます。
その度に「また人を不快にさせてしまった」とか「人の愛をどうして私は素直に受けとることができないんだろう」と悲しくて悔しくて、ダメな自分を責めてきました。
長くなったので今日はここまでにして、続きはまた次の記事に書こうと思います。
今日も読んでいただき、ありがとうございました
※カウンセリングはしばらくの間、お休みいたします。