今日、ふと「拠り所」という言葉が浮かんできました。
「拠り所」というのは、生きていく上での支えや、選択や判断する時の根拠になるもの。頼るところ。という意味です。
今の時代に生きる人の多くは「拠り所」がなくて困っているのかもしれません。
どうしたらその「拠り所」が手に入るのかわからず、みんなもがきながら生きているのではないでしょうか。
「拠り所」を人は自分の外に求めやすいのだと思います。
自分以外の人や、仕事や勉強、物やスポーツ、音楽、本、お酒やドラッグ、宗教、占い、セミナー、カウンセリングなど自分の外にあるすべてのものがその対象になり得るのだと思います。
例えば、パートナーを拠り所にしようとする人は、尽くし過ぎたり、パートナーを無意識に縛りつけるような行動に出たりすることもあるでしょう。
仕事を拠り所にしようとする人は、怖くて仕事を休むことができなくなるかもしれません。
私は「拠り所」というものは、こういった自分の外にあるものではなく、自分の内にあるものだと思っています。
私が感じる「拠り所」は自分の中にある「愛」です。
私は長い間「自分が愛されずに育った」ということを嘆いてきました。
愛されずに育ったから自分の中に愛はなくて、それは同時に「拠り所」を失うということだと思い込んでいたようです。
人が生きていく上で「拠り所」がないということは重大な問題なので嘆き悲しんでいたのだと思います。
私と同じようにみんな「自分の中には愛(拠り所)がない」と思っていて、外にその愛(拠り所)を求めてしまうのかもしれません。
私のように愛されずに育った人には「拠り所」がないのか?というとそうではないのです。
やっぱり誰にでも愛(拠り所)はあるのです。
その証拠に、長い間愛されずに育ったことを嘆いてきたはずの私が、最近では「愛ある選択はどちらかなぁ?」と判断していたりするのですから。
愛がなかったら「愛ある選択」という言葉すら出てこないでしょうし、「愛ある選択」はわからないはずです。
このように「愛」は自分の中にありますが、実は「愛」は自分だけのものではなく、親をはじめ自分以外のたくさんの人や目に見えない存在から与えられたものではないかと思うのです。
自分のものであり、自分のものではないような感覚です。
「愛」というのは元々与えられたものであり、与えるためにあるものなのかもしれません。
自分にも与えられるし、人にも与えられるもの。
「愛」は与えてはじめて「拠り所」として機能するのかもしれません。
人は誰でも自分に与えるだけでは収まりきらない大きな「愛」を持っていると私は思っています。
その「愛」を分かち合うことで、それぞれが揺るぎない「拠り所」を手にすることができるのではないでしょうか。
誰にでも大切にしている愛があるものです。
愛はこれと定義できるようなものではなくて、すべてが愛だと思うのあですが、人にはそれぞれ特に大切にしたい愛があるのだと私は感じています。
人に愛を与えはじめると、特に大切にする愛を中心に、たくさんの愛が自分の中から引出されていくのでしょう。
私の特に大切にしている愛は「人の世界を感じて、理解すること。そして、感じたことをその人自身に伝えること」です。
感じて、理解して、伝えることはその人が特に大切にしている「愛」です。
特に大切にしている愛は「個性」や「才能」といわれるものでもあります。
私のカウンセリングではその人が「愛」を与えるために必要だと感じるアドバイスもします。
揺るぎない「拠り所」をみなさんに得て欲しい。
私がみなさんに分かち合いたい「愛」はそれだけなんだと思います。
以前、私の強さの秘密を教えます
という記事を書きましたが、その根本は愛(拠り所)なのです。
「拠り所」を持つと人は自ずと強くなるものなのでしょう。
「拠り所」を外に求め過ぎて疲れてしまった方、この記事を読んでピンときた方は是非ご相談ください。
今日も読んでいただき、ありがとうございました
自信を育てるカウンセリング
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