言語障害 | 許可の向こう側の世界に行こう  自信がなくて生きづらい人のための優しいカウンセリング

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名古屋市北区で「本気のスイッチ入れる会」をやっています☆山崎 忍

昨日の記事 を書いた後、ひとつ忘れていることに気づきました。

私、小さい頃といっても小学校1年生までなんですが、言語障害があったんです。

ネットで検索するとそれは言語障害の中の一種で機能性構音障害 と呼ばれるものみたいです。



言語障害なんて大そうな名前がついていますが、一部の言葉の発音が普通と違っていただけです。

50音のうち、か行とさ行が全部た行になってしまうのです。

おかあさん→おかあたん

さかな→たたな


こんな感じ。

この発音って幼児の場合、わりと普通なことのような気がします。

私の場合は、これが小学校に入学してもなおらなかったのです。

家ではあまりしつこく発音間違いを指摘されることはなかったのですが、食事の時など食べ物の名前を言うと正し発音を教えられたりしていました。

あれ?

今、急に気づきましたよ。

よく考えると食べることが大好きだった私への配慮だったのかしら?

あまり、しつこく言うのもストレスになるから、私の好きな物を使って教えてくれようとしていたのかもしれませんね。

残念ながら、その成果は上がらずに小学一年生になると、私はことばの教室に通うことになりました。

ことばの教室 って、リンクをはりましたが、ことばに問題がある児童が普通学級に通いながらことばの指導を受ける時に通う学級だそうです。

私も詳しく知りませんでしたが、確かにそうでした。

小学生になって1、2カ月後に週一回5時間目の授業を受けないで、隣の地区にある小学校内のことばの教室に通っていました。

そこに通うのがとても大変でした。

まず、給食を早く食べ終えないと、ことばの教室の移動が間に合わなかったこと。

当時、私は食べる速度がものすごく遅かったのです。

しかも昔は給食を残してはいけなかったから、プレッシャーと嫌いな物も食べなければならないストレスで泣きながら食べていました。

これもかなり頑張った。
なんかいつの間にか克服していたみたい合格

今、逆に早食いになって困ってます(笑)

給食が終わったら、早退しないといけないので男子がからかうんですよ。

「さぼりだぁー」

って言われのがまたしんどくて。。

その前にまだハードルがあったのですあせる

ことばの教室は隣の地区の小学校内にあって、その小学校は子供の足だと歩いては行けない距離にありました。

小学一年生なので、母が一緒じゃないと行くことができなかったのです。

バスで通うという手段もあったけれど、弟が一緒だと(バスの中で騒いだり、急に降りたいということもあるので)バスには乗れないのです。

それでどうしたかというと、自転車で通うことにしたのです。

ここでまたひとつ問題がダウン

周りの友達は幼稚園の頃から自転車を補助なしで乗れていたのですが、わたしはほら、外に行かなかっでしょ。

それに、加えて運動神経も鈍くて自転車に乗れなかったのです。

もうね、猛特訓しましたよメラメラ

子供の頃、本当に根性なくて、弱くて
ヘロヘロでいつも泣いていた私。

自転車乗るのも何度も挫けそうになったけれど、ことばの教室に行くしかなかったので頑張りました。

何とか、ことばの教室に通うまでに補助なしで自転車乗れるようになりましたクラッカー

父と母に何回も練習に付き合ってもらったなぁラブラブ


あの時、しっかり乗れるようになったので、今でも自転車乗るのはすごく上手いです、私(笑)


長くなってきたので、ことばの教室のお話しは次の記事に書きます。



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