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名古屋市北区で「本気のスイッチ入れる会」をやっています☆山崎 忍

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先日、この記事を書いた時にmixiのページにお友達からコメントをいただきました。

実家の母の発言が不思議だったという内容でした。

そんな昔の話しで、しかも困ったという話しをしても仕方ないし、 聞き流していたらいいと思ったと。

率直なご感想いただき、自分の言葉の足りなさに気づきました。

感想を寄せてくれたお友達のように私も「この話しされても迷惑だなぁ」と以前は思っていました。

実は、一昨年実家で母から聞いたその話しの続きがあったのです。

私が小学校3年生の途中でそれまで住んでいた社宅から一軒家を購入して引っ越ししています。

社宅での我が家は4階でした。

知的障害を持つ弟が大きくなってくる中、社宅だと環境が悪いのと、周囲への迷惑を考えての引越しでした。

一昨年母から聞いた話しでは、弟のこともあったけれど「あんたが外に出なかったのは重い鉄の扉がある4階という環境に住んでいたからなのかもと思ったのよ」とのことでした。

それだけ真剣に悩んでいたんだなぁと思いました。

すごく心配してくれていたんだろうなぁ。

これは愛だったんだ。

大人になっても何度も言われたぐらいですから、それだけ大きな愛だったんだとこの時、はじめて気づきました。

あの頃の母は本当に大変でした。

子供達のことで悩みが多過ぎました。

弟は重度の知的障害を持っていたので、その対応だけでも気が休まる時がなかったと思うのに、姉が小児喘息が重くて夜になると喘息発作を起こすことが度々あって、発作が起きると朝まで眠れないことが多かったのです。姉の世話も大変でした。

そのうえ、私は家にこもって外に出ようとしないし。。

あの頃知的障害は、親の育て方が悪かったと捉える風潮もあったので、口には出しませんでしたが母は弟のことも私のことも「自分の育て方が悪いから」と自分自身を責めていたのかもしれません。

頼りになるばずの両親とも、母が子供の頃から結核を患っていて、祖母は私が生まれた後すぐに、祖父も私が幼稚園生の時に亡くなっています。

私が母の立場ならとっくにこころが折れていたに違いない。。

この時の母って今考えると20代後半です。

本当に大変だったよ、お母さん。

よくがんばりました!!

『よくがんばりました』のスタンプ何個も押してあげたいくらいです。

インナーチャイルドの癒しも大切だけど、それをやり切ったら今度は大好きなお父さん、お母さんの癒しをしてみることも大切だと思いましたラブラブ