うつ病の正体2 | 許可の向こう側の世界に行こう  自信がなくて生きづらい人のための優しいカウンセリング

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名古屋市北区で「本気のスイッチ入れる会」をやっています☆山崎 忍

前の記事 の続きです。

ここで、わたしがうつ病になった切っ掛けとなる出来事を書いてみようと思います。

わたしには3つ年下の弟がいます。

その弟は重度の知的障害を持って生まれました。

母はなにかと手の掛かる弟の育児にいつも苦労していました。

弟の育児を巡り、父と母が言い争い場面も多くありました。

父も休みの日は育児にも参加していたのですが、弟の育児の負担の多くは母に掛かっていました。

わたしはそんな母のために一生懸命自分が出来る手伝いをしました。

家事の手伝いや弟の世話はもちろん、母に迷惑を掛けないよう、いい子でい続けたのです。

少しでも母の負担を減らしたかった。

母が父に怒られることがないように、大好きな家族がいがみ合うことがないように、できる限り楽しく平和な生活ができるよう頑張りました。

わたしが30歳の頃、弟が精神的に不安定になり、夜も寝ずに奇声を上げていました。

毎晩それが続いて、さすがの母も音を上げはじめました。

「もう、家で弟の面倒を見るのは限界よ」

わたしの家族は弟が小さい頃から、重い障害があっても(あるからこそだったのかもしれません)弟を家で育てたい、面倒みたいと思っていました。

可愛い弟を手離したくなかった。
一緒に暮らせなくなるのが寂しかった。

だから、わたしは母の助けになるべく頑張ってきたのです。

わたしと同じように家族全員思って生きてきましたが、その時になって母と姉が諦めようと言い出しました。

「弟を施設に入所させよう」

この意見に父が反対しました。

激しく反対したというよりは、
「施設には入れたくない」
それの一点張り。

毎夜、毎夜家族会議という名の言い争いが続きました。

わたしはどうしたらいいのか正直わかりませんでした。

それより、この状況が悲しかった。

ここまで頑張ってきて、結局は弟のことを手離さなければならないのか、そのことで家族が言い争うことが耐えらなかった。

わたしは自分が役に立たないことを思い知りました。

どんなに頑張っても愛する家族を救うことはできなかった。

それから数カ月後、わたしはうつ病で倒れました。

それは、自分が本当にしたいこと(役に立つこと)ができなかったから。

自分が一生懸命やってきたことがなにひとつ報われなかった。。

このことによって、わたしは大きな大きな挫折感を味わいました。

きっと、この時わたしはこころの深いところで感じていたのだと思います。

自分が本当にやりたいことは決して叶わないと。

本当にやりたいことっていうのは天命なんです。

天命というのは生きるうえでの目的みたいなものです。

その目的が果たせないとなれば、やる気をなくして、無気力人間として生きていくよりないのです。

天命に生きられないことを絶望している。

これがうつ病の正体なのかもしれません。

そして、その絶望感をずっと抱えているから、うつ病が治らないのではないでしょうか。

わたしの例をみるとわかるように、実はうつ病になった理由にその人の天命が隠されているのだと思うのです。

うつ病の人は生きる目的をなくして苦しんでいます。

この人たちは本当に天命を生きられないのか?

わたしはそんなことはないと思っています。

工夫次第でいくらでも天命を生きることができる。

うつ病になるような人は他人に相談することを嫌う傾向があります。

他人に相談しないから、行き詰まり勝手に諦めて絶望しがちなのです。

わたしも他人にはあまり相談しないですけど(苦笑)

これから天命を生きるには他人の力を借りなければどうにもならないことがやっとわかった気がします。



うつ病の正体3 に続く・・・