前の記事
の続きです。
ここで、だんだんと自分の天命がわかってきたわたし。もう少し絞ってみると具体的なものが出てきました。
ああ、これだなぁ。
認めたくないけれど。。
うつ病とかパニック障害とかの精神疾患の方のサポートをしたいんだろうと思うのです。
限界まで我慢して病気になった人たち。それにも関わらず治る期待も持てずに、病気を受け入れている人たちのなんと多いことか。今まで辛く苦しかった分、そういう人たちに成長し、幸せを味わって欲しいと思っているんです。
わたしは以前から精神疾患の方をサポートするボランティア活動をしているのですが、どんなにアドバイスしても治る人というのがほとんどいないのです。
それで、段々とモチベーション下がって最近は相談がきても主人に任せているのです。
もう諦めているんでしょうね。
カウンセリングに来るような人は半分治ったようなものです。
問題は病気(病名かな!?)にはまりきっている人たち。今のままなら、治る確率が低いなぁと思えてしまうのです。
そもそもこのボランティア活動をはじめたのって、わたし自身がまだ病気だった頃なのです。
自分もまだ病気だったのに、人の役に立とうとしていたんです。
わたしが病気を治そうと思った頃、主人が「精神疾患を治す」というタイトルのホームページを作ってくれました。
そこで、治すためのヒントになるようなことを主人が書いて、わたしは自分が病気を治す過程を日記に書いて公開していました。
頑張って病気を治そうと思っている人がいると思ったら、他にも同じような病気の人が「自分も病気を治そう」と思ってくれるのではないかと考えていました。
同じような境遇の人たちの役に立てれば嬉しいというのがその時の思いでした。
今思うと、そういう思いがあったから頑張れた。最終的には病気を治せたんじゃないかと思うのです。
病気を治そうと思っていた頃の話の続きですが、段々と調子もよくなり、減薬もはじまった頃「治った先にやることがない。なんの目標もない」このことに気づき、落ち込みました。
いつの間にか、病気を治すことが目標になっていたのです。
この時、本当に病気を治すのやめようかなぁと思ったのです。
また病気に逆戻りするか、随分とこころが揺れたのを今でも覚えています。
でもなんとか踏ん張って治すことができました。
それは多分、意識はしてなかったけれど、この時既にわたしは天命に生きていたからなんじゃないかと思ったのです。
治ってもやることもない。目標もないと思いながら、実はちゃんと大きな目標を持っていたのではないか?
今になって、それが天命というかたちでみえてきたのです。
病気をが治った頃、当時お世話になっていた内科の先生にも随分嘆いたなぁ。
「わたしがやりたいことと、やれることが違うんです」
当時はそんなふうに嘆いていました。
福祉とか医療などの職に就きたかったのですが、そういった仕事をすると自分を犠牲にして尽くして、きっとまたうつ病になって倒れる。
そういう嘆きです。
これはこの時からずっと続いているわたしの悩みでもあります。
人の役に立ちたいあまりに、一生懸命になり過ぎるのです。
天命の暗号という本を読んで、このことに納得がいきました。
天命だから、やらずにいられないし、人の役に立つことが天命だからこそ、こういう悩みが出てくるんだろうなぁ。
それで、いつもできないと嘆いて避けたりしているだけど、やっぱり気になる。
この前みたいな記事
もやめればいいのに書いしまうんでしょうね。
嘆きに天命が隠されていると同時に(天命の暗号には書かれていないですが)人の悩みにも天命が隠されているのかもしれないと思いました。
また長くなってきたので、天命がみえてきました3
に続きます・・・