気まぐれに更新していて、今月ももうすぐ終わるというのに3回しか書いていませんでした
それにもかかわらず、更新すると多くの方にみにきていただいているようです。
本当に、ありがとうございます
そうやってみにきて下さる方や心配下さっている方もいらっしゃるので、そろそろしらばっくれてもいられないかなぁと思って、わたしが今わかっていることを書いてみようと思います。
わたしのね、天命というようなものがなんとなくみえてきました。
まぁ、天命というと大袈裟なんですけど、生きる上での目的ですね。もしかすると在り方とも重複する部分があるのかもしれません。
みなさんもご存知の通り、わたしは昨年の一時期カウンセラーをしていたのですが、楽しさが見出せずに辞めてしまいました。
楽しくなかった理由なんですが、あれからいくつも出てくるのです。
どれも間違いじゃないんですけど、一番大きいのは「そんなにやりたくないのにやらなければいけないような気がしていた」人やってみれば?とすすめられるので、受け取ってやっていたというところです。
これですかね。
これはその動機が恐れなんです。
何かにならないと自分は認められないんじゃないか?という自己肯定感の低さから来るものだと思います。
これは辞めて正解だったなぁ。
そう思っていたんですけど、じゃあわたしの天命(生きる上での目的)って一体なんだろうなぁと考えていたんです。
その時に出会ったのがこちらの本。
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なんとなく自分で感じていたこと、思っていたことがこの本を読んで繋がりました。
あなたが人生で、いやだいやだと、嘆き ながら続けてきたものは何か
天命を生きるというのは好きなこと、得意なことを楽しむような人生を想像しがちですが、実は嘆きの中に天命が隠されているとの興味深いお話。
人の天命は嘆きの中にあるので「嘆きの指し示しているもの」を捉えることができたとき「何を求めているか」がつかめる。
「いやだ、いやだ」と言いながらやり続けていることがクセモノらしい。
これを聞いてわたしが普段嘆きながら続けているものって、やっぱり「こころ」かなぁと思いました。
先日の記事
みたいに他人の話しを聞いて分析しちゃ、自分の反応とか感情とかついついみている。やめたいのに、やめられない。感じたり考えてたりしなければ、もっと楽なんだろうなぁと思う時もあるんです。
その次に何故嘆くのかというお話。
天命を志すということは「自分が本当にやりたいことであるから、自分に課す基準が高くなる」
本気でやろうと思ったらハードルが高くなる。
次の話は、この本に紹介されている看護師さんの天命と嘆きです。(以下、天命の暗号P71~P72)
終末医療の看護師さんの嘆き。
「私は人を愛することができません。毎日、不治の病で死にゆく人たちのケアをしていながら、患者さんを二十四時間、愛することができません。私には、看護師は向いていないと思います。やっていく自信がありません」
彼女に愛情がないのだろうか。いやむしろ、筋金入りの愛情あふれる人なのだ。しかし、ナイチンゲールを目指し、そのナイチンゲールが持っていたであろう愛の基準を自らに課しているために、そのギャップに苦しんでいる。
「死を迎えようとしている人たちを愛で癒やす」という途方もない天命を持った看護師は自分の愛情が足りないと実際苦しんでいるのだ。
この看護師さんの天命は特別ハードルが高いのかもしれませんが、ここにきてわたしも思い当たるものが出てきました。
人の役に立つ
これが多分わたしの天命なんじゃないかなぁと思うのです。
「人の役に立とうと思いながら、結局人の役になんて立てやしない」
わたしは、このことを思い知っているんです。
特にカウンセリングなんかやるとこれが思い知らされるわけです。
これでどんどんやる気なくして楽しいどころか、虚しくなるんでしょうね。
ハードルが高いんですよね。
長くなってきたので、記事を分けようかと思います。
天命がみえてきました2
に続く・・・