わたしの好きなゆずのアルバムに収録されている「命果てるまで」という曲があるのですが、その曲の中に
生きられるのに死んだ人がいる
死にたくないのに死んだ人がいる
生きているのに死んでる 死んでる人がいる
という歌詞があるのです。
この曲が入ったアルバムはわたしがうつ病だった頃に発売されました。
この曲を聞いた時に最後の「生きているのに死んでる 死んでる人がいる」というのはわたしのことだと思って、自分を責めました。
その頃のわたしは廃人で、生きているという実感がまったくない状態で、それでも仕方なく生きていたから。
生きられるのに死ぬ人もいる
死にたくないのに死んだ人がいる
それなのに、わたしは生きていて申し訳ないみたいな感覚でした。
でもこの歌詞、よく考えたら全然わたしが考えていた意味と違うことを言っていたんだなぁと後になって気づきました。
少なくとも、うつ病だった頃のわたしは 生きているのに死んでいる人ではなかったと思うのです。
その頃のわたしは、死んだような生活だったけれど、すさまじい怒りと悲しみを表現して生きていたように思うのです。
生きているのに死んでいる人をやっていたのは、病気になる前のわたし。
「生きているのに死んでる人」というのは、自分のいいところも、悪いところも殺して生きている人のことを言うんじゃないでしょうか。
それは親に愛されなかったという勘違いからはじまっていて、自分は愛されない人間だ、価値のない人間だと思い込んで、他人から「いいね、素晴らしいね」と言われても認めずに自分のいいところを殺しはじめる。
そして、自分の悪い(自分が悪い、恥ずかしいと思っている)部分が周囲にバレたら、ますます自分が価値のない人間になり、人は自分から離れて行くと思い込んで、そういう部分も殺しはじめる。
そんな本当の自分を殺して生きている人のことを指しているのだと思うのです。
①生きられるのに死んだ人がいる
②死にたくないのに死んだ人がいる
③生きているのに死んでる 死んでる人がいる
そして、①②③は全部つながっているように思うのです。
③だったわたしは、うつ病の時に自殺未遂をしています。もし、自殺してしまっていたら、①にもなるし②にもなる。
この曲の歌詞って人を責めているわけじゃないのです。
気づいてくれ!!
早く目覚めてくれ!!
そんなメッセージなんだと思うのです。
すごい勘違いをしていたもんだと後になって思いました。
散歩していたら、急にそんなことを思い出したので書いてみました。
iPhoneからの投稿