金曜日の夜、TBSで「エジソンの母」というドラマが放送されています。普段は時間が遅いのでその枠のドラマは
あまり観ないのですが、先週主人が残業で帰りが遅かったので、料理を作りながらところどころ観ていました。
エジソンは3ヶ月で小学校を落ちこぼれたそうなのです。(番組HPを観て私もはじめて知りましたが)興味を抱い
たことや、疑問に思ったことの全てを教師に質問しつづけたエジソンは、問題児として学校を追い出されてしまっ
たそうです。そんなエジソンを彼のお母さんだけは見捨てることなく温かく見守り続けたそうです。エジソンが不
思議に思うことは何でも2人で話し合い、考える事を学び、楽しみ、息子の想像力を伸ばした。その結果、成長し
たエジソンは世紀の発明王と呼ばれる人物になった。。「エジソンの母」というドラマは現代のエジソンとも言える
才能を持った一人の少年の可能性を周囲の人達亜が摘み取ることなく、見守ることができるのか?という内容
の深刻ではなくてコメディータッチのドラマです。
どんな子どもも“何ものか”になる可能性を持っているはず。けれどついつい大人の手でその芽を摘ん
でしまいがち。ここの部分を問題定義をしたいらしけれど、私はちょっと違う視点で観てしまいました。私みた
いな怠け者でも、子供の頃は両親に良く「これって何?」「何でそうなるの?」と疑問に持つことが多く、「何で、何
で」が口癖のようになっていた記憶があります。子供の頃の疑問って結構侮れないと思うのです、意外と大人で
も即答できないような質問することって多いですよね、子供って。ういう、好奇心というか、意識したり、考えたりす
ることを大人になると固定観念にしばられて、何故かしなくなっているんじゃないでしょうか?考える事を学び、楽
しみ、想像力を伸ばす、好奇心を持つ、意識することって何も天才だけがすることじゃなく、大人も、子供も関係
なく皆がしていくことなんじゃないだろうか?と私は思うんですよね(天才レベルと凡人レベルの差はあると思いま
すが)
昨日、口腔外科で治療を受けている時に隣の診察台に座った男の子が(一緒に来ていたお母さんに)真剣に
「(自分は)5歳になるけど、まだまだわからないことがいっぱいあるの!」って訴えているのを聞いて、思わず
衛生士さんに歯の掃除をしてもらいながらにんまりしてしまった私ですが、(私なんて30歳もとっくに過ぎている
のにわからないことだらけだもんねなんてその時思っていました)わからないことは当然誰にでもあることだし、
悪いことじゃない。でも、わかろうとせず何も考えようとしないのはただの怠慢かもしれないなぁとちょっと反省しま
した。私も5歳の少年に負けないように、いろいろなことに目を向けて考えていかなければいけないなぁと思いま
した