内なるパワー | 許可の向こう側の世界に行こう  自信がなくて生きづらい人のための優しいカウンセリング

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名古屋市北区で「本気のスイッチ入れる会」をやっています☆山崎 忍

私には、1歳年上の姉と3歳年下の弟がいます。姉は小児喘息があり、大学生くらいまで喘息発作を年中起こし

ていてからだが弱かったのです。弟は重度の知的障害(自閉症)があって兄弟の中では、私だけが健康でした。

「健康でした」というのは過去形にしなければならないと思います。最近まで、私は自分が小さい頃はとても健康

な子供だったと思い込んでいました。小児検診で市内の健康優良児として表彰されたことがあるくらいだったの

で家族や知人でさえ、皆そう思っていたのだと思います。これはとても書き難いことですが、生まれてきた子供が

病気だったり、障害を持っているということは母親の栄養状態が良くなかったという表れでもあるのです。こう言っ

てしまうと、母親だけをを責めているように感じるかもしれませんが、そんなことは無いのです。栄養状態はもち

ろん食事も関係するけれど、ストレス等環境の影響も十分受けますし社会全体が関わってくるものだと思いま

す。それに、母親と子供は同じ栄養素が足りていないことは明白な訳で、気が付いた時点で二人一緒に頑張っ

て元気になるということも可能なのです。今、お子さんに程度の差はあっても病気がある方は過去の食生活から

ストレス等を振り返って、自分に欠けている栄養素を見付けて下さい。そして親子で健康になる為に一歩を踏み

出して欲しいのです。最近はアトピーや喘息、食物アレルギー等を持って生まれた子供が多いです。子供を健

康にするにはお母さんの力が必要です。是非、一緒に頑張って治してあげて下さい。

私の場合、姉は7月生まれ、翌年の9月に私が生まれました。年子もいいところで、姉を産んだ時の母の栄養状

態(特に鉄不足でしょう)は悪く、栄養状態を回復する間も無く私がお腹に入ってしまったので間違いなく私は母

の栄養状態が良くない時に生まれた子供なのです。そして、その後生まれた弟はもっと母の栄養状態が悪い時

に生まれた子供なのです。じゃあ、何故私だけ健康だったのか?ずっと疑問に思っていたのですが、良く考えて

みると私は全然健康では無かったのです。どこがというとメンタルがです。人一倍栄養状態の悪さがメンタルに

出ていました。私は小さい頃、とても神経質な子供で今でいういわゆる、不安神経症と社会不安障害と呼ばれる

ような症状が出ていました。今でこそ、そんな病名が付いているけれど、周りから観る私はただの神経質な子


供、泣き虫な子というイメージだったと思います。とにかく臆病で、何もかも不安、怖がりで、誰とも口を利くこと

もできず、決まった友達としかコミュニケーションが取れないような子供でした。授業で指されると、心臓バクバク

で頭は真っ白、音楽の授業で一人一人歌を歌うテストでは、今でも忘れないのですが、歌おうと思えば思う程喉

が閉まって声が一言も出ないのです。これって、不安神経症や社会不安障害と言われる人達の症状ですよね。

何かあるといつも泣いているしか術の無かった私に、幼稚園の先生は「泣いているだけじゃ、赤ちゃんと同じよ」と

言いました。先生の言う通りだなぁって自分でも良くわかっていました。でも、その頃の私はどうにもできなかった

のです。自分でも逃げているのがわかったいました。ずっとずっと、どうしようもできなくて悩んでいました、逃げ


ている自分も嫌で仕方無かったのです。小学校3年生くらいの時です、「こんなんじゃ生きていけないなぁ、もっと


強くならなくちゃ」と思ったのです。いつも、人とコミュニケーションが上手く図れなかったので、女子にも男子にも


からかわれては泣いていました。そんな時は仲が良かった女の子の友達が私のことをかばってくれていました。


その子と違うクラスになってからだったと思いますそんな気持ち生まれたのは。逃げてばかりいて友達にかばっ


てもらっていたらダメなんだと思ったんです。それから、私は少しずつ自分で自分を鍛えて行きました。嫌なこと


から逃げない努力をはじめました。この作業は中々大変です。なにせ栄養状態が悪い中でやっていたのですか


ら、今から考えると無茶していたなぁと思います。でも、私は途中挫けながらも頑張り続けました。3年くらい置き


に大きなステップがあり、どんどん人とのコミュニケーションも上手くなり、高校生くらいになった頃には人とも普


通に話ができるようになってきました。社会に出てからは300人くらいの人の前で講演をしたこともあります(こ


の時も心臓はバクバクでしたが)そうやって、少しずつ自信を付けていきました。このことは家族も知らないこと


です。私だけが黙々と一人でやってきたことです。そんな経験があったからでしょうか、私が病気の泥沼にはま


ってしまった時もそこから脱出すべく頑張れたのは。「あの時と同じだ」という感覚が私の中にはありました。栄


養状態を良くすることはとても大切なのは間違い無いのですが、それだけじゃ無いのです。子供の頃の私は明


らかに病的な程栄養状態が悪かった。でもそこから抜け出せました。それは、私の内なるパワーの強さだと思い


ます。内なるパワーと言うと難しいかしら?簡単な言葉で言うと“勇気”です。特に長く患っている方はこの“勇


気”が持なくなっている場合が多いのです。私は、小さい頃不安神経症や社会不安障害という診断を


されなくて本当にかったと思っています。もし病名が付いてしまったら、私は病気ということに逃げてい


たと思うからです。病気仕方無い、そう簡単に治る訳無いって自分でできる努力を怠っていたと思う


のです。そして、そのまま大人になて今までの生き辛さは病気のせいだったと思い込むようになった


んだと容易に想像できるのです。逃げている限り、病気は良くなりません、そういった場合薬はもちろ


ん、栄養さえも意味を成さないのです。の方はこ内なるパワーを本人が発揮できるよう、だまって



見守ってあげて下さい。そして、病気を治してになりたいへ、病気は自分にしか治せないもので



す。内なるパワー“勇気”を持って一歩踏み出して下さい。一歩踏み出しても、また以前の自分に戻り


たくなる場合も多いです。そうしたら、その時はまた“勇気”を持ちましょう。すんなり行く人ばかりではあ


りません。それを繰り返して自信を付けて下さい、私もそうやってきましたから。応援していますので頑


張って赤旗