縁結びの熊野大社 摂社、末社 ①「蟻王とは」 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

拝読感謝♥
占ってもらうだけでは変わらない今を、開運行動するだけで、あなたを変える!
黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 

八幡神社 蟻王山八幡宮

 

御祭神 

応神天皇

(おうじんてんのう)

戌・亥年の守り神。

 

八幡神は、

源氏に信仰された戦いの神で、

源義家公にも厚く尊崇されました。

昔は、武芸上達、武門の神として

崇敬されましたが、

現在では、

スポーツなどの必勝祈願の神様として

信仰されています。

 

当山には、

慶長3(1598)年、

尾崎重誉が信州からお遷しした

と伝わります。

 

 

この、「蟻王山」

南陽市にあるのかと思ったら

ありませんでした

 

「蟻王」という名は

中国の「捜神記(そうじんき)」

この中に出てきます

 

4世紀に

東晋の干宝が著した志怪小説集

 

 

プロメテウス、というブログで

現代語訳されていますので

シェアさせていただきました

 

 

  • 蟻王が恩に報いる

董昭之は呉国の富陽県の人であった。

ある時、董昭之は船に乗って銭塘江を過ぎると、

船は江の中央へ至った。

董昭之は江の中に短い葦があり、

そこに一匹の蟻がつかまっているのを見た。

 

蟻は葦の端から端へと歩いており、

また反対の端へと戻ってきて

何度も行き来していた。

その様子は怖がっているようであった。

 

董昭之は、

「蟻は溺れ死ぬことを恐れているのだ。」

と言い、

董昭之は蟻を捕まえて

船の上に乗せて救おうとした。

 

しかし、他の乗客は、

「蟻は有害だから助けるな。

お前が蟻を船に乗せるなら、

踏みつぶしてやる。」

と罵った。

 

 

董昭之はその蟻が哀れになり、

縄でその葦を船の脇に縛り付けた。

船が岸についたあと、

蟻は江から岸に上がることが出来た。

 

その晩に、董昭之は

黒衣を着た人物が百人程の供を連れて

感謝をしている夢を見た。

 

黒衣の人物は、

「私は蟻王で、

誤まって江へと落ちてしまいました。

江の中から私を

救い出してくれたことに

感謝をいたします。

以降、もしあなたに

何か禍があれば、

どうぞ私に言ってください。」

と言った。

 

十年以上経ったとき、

董昭之が住んでいる地域には

盗賊が出現していた。

 

董昭之はなんとありもしない罪で

盗賊の首領と断定されて、

余杭県の牢屋に入れられてしまった。

 

この時、董昭之は忽然と、

蟻王が夢の中で言っていたことを

思い出した。

 

今がその禍の時であると思い、

蟻王に言おうと思い立った。

 

しかし、

蟻王は一体どこにいるのか分からず、

董昭之は言葉なく肩を落とした。

 

一緒に牢屋に入っている人物が

董昭之に尋ねると、

董昭之は実情を全て話した。

 

その人物は、

「お前は蟻をニ、三匹探す必要があり、

その蟻を掌に乗せて

彼らに向かって話すのだ。」

と言った。

 

董昭之は、その人物の方法を試した。

 

すると、その夜に夢の中に

黒衣の人物が現れ、董昭之に、

「あなたは急いで逃げ出し、

余杭山中へと行ってください。

現在、天下は非常に混乱していますので、

そう遠くない未来に

朝廷は特赦を発布するでしょう。」

と言った。

 

董昭之は目覚めると、

蟻は既に枷をかみ切っていた。

 

董昭之は牢屋から逃げ出し、

銭塘江を渡って一直線に

余杭山中へと逃げた。

 

 

 

その後、すぐに朝廷は

天下に大赦を出したため、

董昭之の罪は消えてしまった。

 

 

 

しかし、この熊野大社が

紀州ならば

 

「蟻通神社」がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八幡神社の総本社である

宇佐神宮

 

 

 

 

当社南に立つ御許山山頂には

奥宮として3つの巨石を祀る

大元神社があり、

豪族宇佐氏の磐座信仰が

当初の形態であろうともいわれている。

 

そこに、辛嶋氏

比売大神信仰を持ち込んだと考えられるが、

古来からのヒメヒコ文化も

考えあわせれば

ヒメガミ信仰は当時には

当然のことであったと考えられる。

 

辛嶋氏は後に宇佐辛嶋郷に住み、

辛嶋郷周辺に

稲積六神社(いなずみろく、稲積神社とも)

、乙咩神社(おとめ)、

さらに酒井泉神社、

郡瀬神社(ごうぜ。昔は瀬社とも)と

社殿を建築した。

 

 

この、辛嶋氏

あの、スサノオノミコトの息子

五十猛神の子孫である

という

渡来氏族です

 

奈良時代に

八幡神に朝廷の権力が及ぶと、

宇佐八幡宮にも神宮司が設置された。

 

当初は大宮司職は

和人の大神氏(おおが)が、

祭祀は渡来系氏族の

辛嶋氏(からしま)が掌握していたが

 

道鏡事件が起こると

大宮司職が空席になった為

宇佐池守が任じられるところとなった

 

 

 

 

和人とは

アイヌ以外の日本人

ということ

 

宇佐神宮の祭祀は、元は

渡来氏族の辛嶋氏が行っていた

 

このへんの

八幡信仰も

なかなか、おもしろいところ

です

 

 

 

道祖神

 

 

 

 

 

 

 

保呂羽 とは

 

 

保呂羽の保呂は、

代表的なアイヌ語

「ポロ(大きい)」がなまって

「ホロ」となり、

「ワ」は、

元は「イワ(神聖な山)」であって、

「ポロ・イワ(大きな神聖な山)」が、

「ホロワ」となったと思われる。

 

八沢木の保呂羽山は、

当地に行けば分かるが、

この地域では目立った大きな山である。

札幌の「藻岩山」のモイワは

小さな山の意味である。

 

 

宮城県にもある

 

 

 

 

 

 

 

 

菅原神社

 

 

 

裏手に、融通神社

 

 

 

 

 

 

高平稲荷大明神

 

 

 

 

 

これ、国常立神 とありますが

 

庚申さま、じゃありませんか?

 

 

クニノトコタチノカミ神

出典:国之常立神「日本の神々辞典」

 

 

 

 

桂の木