傅家寳(でんかほう)我が幸福は祖先の遺恵 | その先、ヒカリ♥

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傅家寳(でんかほう)


安岡正篤一日一言



 一、我が幸福は祖先の遺恵、
子孫の禍福(かふく)は
我が平生(へいぜい)の
所行にあること、
己(すで)に現代の諸学にも明らかなり。


 二、平生、
己(おのれ)を省(かえり)み、
過(あやま)ちを改め、
事理を正し、恩義を厚うすべし。
百薬も一心の安きに如(し)かず。



 三、良からぬ習慣に
狎(なれ)るべからず。
人生は習慣の織物と心得ベし。 



 四、成功は常に苦心の日に在り。
敗事は多く得意の時に
因(よ)ることを覚(さと)るベし。


 五、事の前に在りては怠惰、
事に当っては疎忽(そこつ)、
事の後に於(おい)ては安逸(あんいつ)、
是れ百事成らざる
所以(ゆえん)なり。
天才も要するに勤勉のみ。 



 六、用意周到なれば
機に臨んで惑(まど)うことなし。
信心積善すれば
変に遭うて恐るることなし。


 七、不振の精神・
頽廃(たいはい)せる生活の上には、
何ものをも建設する能(あた)わず。
永久の計は一念の微にあり。



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 人生に
運とツキというものは
確かにあります。

 しかし、
運もツキも
棚ボタではないはずです。 


 「傅家寳」は、
運とツキを招き寄せる心得
といえますが、 

最後に安岡先生は

「永久の計は一念の微にあり」

と示されています。 

人生は

かすかな一念の
積み重ねによって決まる、

というのです。





空念仏


安岡正篤活学一日一言



 日本くらい
平和、平和と言うて

大事な問題を抹殺する風俗は
ほかにない。


平和は
誰でも口にするが、

それをどう達成するか。


こういう実際問題になると、
これくらい難しいことはない。

こういう
穢国濁世(えこくじょくせ)、
あるいは
穢国悪世というような時代に、

平和は
空念仏になりやすい。


単なる概念、
あるいは標語みたいなものになって、

実際のものにならない。

平和というものを 
実際のものにしようと思ったら、

非常な抑制機能、
すなわち
非常な道徳的精神が必要である。







滅びるものと滅びないもの


菜根譚一日一言


事業文章は、
身に随(したが)いて
銷毀(しょうき)するも、

而(しか)して
精神は
万古(ばんこ)に新たなるが如し。


 功名富貴は、
世を逐(お)いて転移するも、

而(しか)して
気節(きせつ)は
千載(せんざい)に一日なり。 


君子、
信(まこと)に、
当(まさ)に
彼を以て
此に易(か)うべからず。



 現代語訳 


 事業や教養は、
その人が死ねば無くなるが、

精神は 
永遠に新しく生まれ変る。 


地位や名声は、
世の中の移ろいと共に
価値が変わるが、

気概(強い意志)は
千年一日のように変らない。 
 

 上に立つ者は、

一時的な価値と
永遠な価値を 
交換すべきではない。 


つまり、
上に立つ者は、

少しぐらい頭脳明晰な評判、
地位、名声に目が眩んで

「信念」を
曲げることが
あってはならない。


 言い換えれば、
活人は、

強く正しく生きることこそ、
重視に価することを
忘れてはならない。 



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  為政三部書(原名:三事忠告)には、
このように一節があります。


 古人がこう語っている。


 「官途についたからには、
大臣大将にまでなりたいと
願うのが
人情の常である」


 しかしこれは、

栄誉こそが
恥辱のもとであることを
知らない者のことばである。


結局は、
常に自己修養につとめる者が
栄誉を保ち、 
自己修養を怠る者が
恥辱をこうむるのだ。 


 では、
自己修養につとめる者とは、
どういう人物か。


清廉な態度を持し、
忠誠の念があつく、
正道をもって事を処理し、

謙虚な態度で
部下に対する人物をいう。



こんな人物であれば、

おのずから名声を博し、
世論の支持も、
神仏の加護も
獲得できるであろう。


こうなれば、
栄誉を辞退したいと願っても、
できるものではない。 


 では、
自己修養を怠る者とは、
どんな人間か。


職務を忘れて
私利私欲の追求に走り、

あくまでも
貪欲で過去の失敗に学ばず、

国のために働こうとする
気持のない人間をいう。


これでは、
いたずらに悪名をとどろかせ、
世論の非難を受け、
神仏からも見放されるであろう。



こうなっては
恥辱を免れたいと願っても、
不可能である。





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