神様自体は、土公神さまでもある | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!



蛯原さまのお話

シェアさせて頂きました

 




『天上の神と地下の神』

〜三輪山の酒の起源


記紀で描かれた

三輪祭祀の大物主(土公神)や、


記紀神話に登場する 

高天ヶ原の様々な神々は、


西に沈んだ星々が地下に潜って、

次に東から昇るまでの間、


土中にいる時の星神でもあるのです。



ですから、

我々が

神々を畏怖しているのは、


ただ幸福をもたらす

天上の神

としてだけでなく、


地下にいる

禍いをもたらす神


でもあるんです。




元々は

竈門に集まる祖霊が


家宅の神となり、


土地神、地主神となり、


星経や天文から星神へと

変遷するうちに、


星イコール祖霊、祖神


とする認識に至ったんです。


家宅の窓からの中霤(雨だれ)は


月神のみならず、

星や天の川からの恵みの水であり、


土公神の一つの性格

となっていきます。





【古代中国では

代表的な星として

太歳(木星)が挙げられるます。】


また、古代中国では

土公神は、

天王などの神に比べて

地位の低いもので、


巫覡(ふげき)らが唱えた

鬼神(祖霊)であったので、


魏志倭人伝の卑弥呼は

鬼道をする巫女として、


単に冊封だけでなく、


当時、その名前の漢字も、

差別的な字が選らばれた


と推測できるのです。


また、

秦の時代の土忌観念は

土公神の源流ですから、


後漢時代に成立した

道教の神より古いもの


になりますが、


やがて、土公神は

道教の儀礼に吸収され、

 安龍奠土などの安鎮儀礼(地鎮)として

現代でも残り、


北魏時代に編纂された

『斉民要術』の祝麴文には、


東方青帝土公、青帝威神。

南方赤帝土公、南方威神。

西方白帝威神。

北方黒帝威神。

中央黄帝土公、黄帝威神。


某年某月某日辰朔日、

敬啓五方五土之神、主人某甲、

謹以七月上辰、造作麥麴数千百餅、

阡陌縦横、以辨疆界、須建立五王、

各布封境。


酒脯之薦、以相祈請、願垂神力、

勤鑑所願、使出類絶蹤、穴虫潜影、

衣色綿布、或蔚或炳、殺熱火燌、

以烈以猛。


芳越椒熏、味超和鼎。


飲利君子、既醉既逞恵彼小人、

亦恭亦静。


敬告再三、格言斯整、神之聴之、

福応自冥、人願無為、 希従畢永、

急急如律令。



とあり、



(祭文の内容は

民間でお酒を造る時に

読まれたものであり、

厳密には

道教のものと言えないのですが、


最後に

「急急如律令」

という用語があるので、

道教に関連するものと言えるのです)


土公神は

五方の天帝と

同じ地位にあり、

祀られる主神であるとし、


甘美なお酒を醸せるように

土公に祈願するものであり、


それは、

 古代人が酒が出来上がる過程か

理解できず、

神力、

或いは甕が酒を醸す

と考えられたためであり、


ここでの土公は、

地下世界でなく、

地上世界に五帝と同格の神

として崇められているのです。


崇神の時代に

墨坂や大坂に埋められたものが

甕(酒)であり、


大地を鎮めるという意味から、


素戔嗚の八岐大蛇退治では

オロチの首の数だけ『門』を作り

つよい酒を甕に入れて置きますね。


あの『ヤシオリノサケ』も

同じなのです。

(土公神は季節によって

門や井戸や庭や竈門に居るんです)


参考

賈思勰『斉民要術』(任継愈主編『中国科学技術典籍通匯農書』河南教育出版社、1993年)、東アジアにおける土公信仰と文化交渉 張 麗山



*五祀(ごし)とは

五つの祭。

神話的な諸神や宗廟五祀の他に、

生活神の五祀がある。


〔礼記、祭法〕


諸侯、國の爲に五祀を立つ。

曰く司命、

曰く中霤(ちゆうりう)(雨だれ受け)、

曰く國門、曰く國行、

曰く公厲

(こうれい、古の諸侯の後無きもの)。


*中霤とは

上古時代において、

人々は平地に土を積って復としたり、

高地を上から掘って穴としたり 

して居住する。

復・穴は窟居といい、

形としては陶竈のようである。

そして、

その窟の頂 は穴であり、

採光する機能を持っていたが、

雨が降った際、

穴から水が流れてくる。

その ため、

窟居の室は

「雨を留める」場所として

「霤」と呼ばれた。

また、窟居の上の穴は、

 本来光を通るところとして、

ちょうど窟の真ん中に当たるから、

窟居の室は「中霤」とい う。

さらに、

歴史の発展に伴い、

住宅は復穴の窟居から

檐のある家宅に変遷したが、 

後世 において依然として

「中霤」と呼ばれた。


参考

秦蕙田『五礼通考』巻第五十三、吉礼・五祀(聖環図書、1994年)。


*『斉民要術』

(せいみんようじゅつ)とは

中国北魏の賈思勰(かしきょう)が著した

華北の農業・牧畜・衣食住技術に関する

総合的農書。

92編、全10巻。

成立は、532年から549年頃。

世界農学史上

最も早い農業専門書であり、

中国に現存する最古で

最も完全な農書である。


北魏までの農書の集大成とされ、

『氾勝之書』や『四民月令』など、

すでに散逸した古農書の逸文を多く含む。

全10巻よりなり、

記述は穀物・野菜・果樹・桑麻などの

栽培法から畜産関係や

麹・酒・醤・酢・乾酪などの醸造法、

食品加工法、外国の物産論に及ぶ。

体系的で叙述も厳密、精細である。

中国古代農学の発展に大きな影響を及ぼした。

中国料理史でも不可欠な文献である。

雑説部分には後人の加筆があるとされる。

〜wik参考




犯土信仰(土忌の観念)


土を犯した場合、


鬼形の土偶人を作って

巫祝(ふしゅく、はふり、みこ)に

攘除(じょうじょ、払い除くこと。

追い払うこと)してもらう。


そのようにすれば、

土公神による祟りがなくなるという。


【野見宿禰が

日葉酢媛命の陵墓へ

殉死者を埋める代わりに

土で作った人馬を立てることを

提案したというのは、

やはり伝説にすぎないのでは】


犯土の読み方は

「つち」または「ぼんど」です。


犯土とは、


土を司るといわれている

土公神(どこうじん・土の神様)が

土の中にいるため、

土をいじられると怒って

祟りが起きる期間と考えられています。


土公神は土を司る神で、


春はかまど、夏は門、

秋は井戸、冬は庭にいる


と考えられており、

季節ごとに居場所が変わります。


犯土の期間は

土いじりをしてはいけません。


また、季節ごとに

土公神がいる場所の

土いじりをすると

祟りがあるといわれています。


犯土は

「大犯土(おおつち・おおづち)」

または「大土(おおつち・おおづち)」と、


「小犯土(こつち・こづち)」

または「小土(こつち・こづち)」の


ふたつの期間に

わけることができます。


「大犯土」は、

日の干支が

庚午(かのえうま)から

丙子(ひのえね)までの7日間を指し、


「小犯土」は、

戊寅(つちのえとら)から

甲申(きのえさる)までの7日間を指し、


この期間は

土に関することは

一切してはいけないとされています。



参考

人は食べた物で創られる・

食べ物は将来の自分の体の為の投資




*急急如律令

(きゅうきゅうにょりつりょう)

中国の漢代の公文書に、

本文を書いた後に、

「この主旨を心得て、急々に、

律令のごとくに行なえ」

という意で書き添えた語。


後に転じて、

道家や陰陽家のまじないのことばとなり、

また、悪魔は

すみやかに立ち去れの意で

祈祷僧がまじないのことばの末に用いた。


その後、

武芸伝授書の文末にも書かれて、 

「教えに違(たが)うなかれ」の意を表わした。


参考

精選版 日本国語大辞典





厩戸皇子

(聖徳太子)の名前は、


蘇我氏の信仰に由来しているのでは


と推測しています。


蘇我氏は

葛城の渡来人(朝鮮半島)と

深い繋がりがありましたので、


葛城地方の鴨神は

神の寄り座す

樹霊信仰、竈門、土公信仰で、


朝鮮半島の

鬼道(卑弥呼の鬼道でもある)

なります。


これは

皇室の

根源神の高木神信仰、


つまり

土公神祭祀から発展した

境目の大樹神聖視の神祭り

も含まれます。

(桂、榧、伽耶、香山など)


土公祭祀では

新羅の歳神祭祀も絡んできますので、


方位方角が重要になります。


国技の相撲や地鎮祭などが

近いですね。


歳神は

素戔嗚でもあり、


天文から星信仰でもあり、


出雲の大国主は

冥界の土地神(鬼神、祖霊)信仰です。




葛城は

渡来人だけでなく、

出雲信仰(土地神)を持つ人々が

暮らしていましたので、


蘇我氏は

百、済の仏教と

土地神(仏教的には堅牢地神)


ダブルスタンダードな信仰を

持っていたようです。


蘇我氏の一族の祭祀長の名前は


稲目、馬子、蝦夷、入鹿など


歳神祭祀や土公神祭祀の贄を

意味する名前ばかりです。


一族に繋がる女性の名前にも

堅塩、炊屋など

土地神、竈門神信仰由来の名前が

あります。



厩戸は

本来は

馬屋門(うまやと)で、

 この名前は

馬は午で方位(南)で、

門は

土公神が

夏(方角では南)に遊行している場所

になります。


厩戸と同じ時期にいた

蘇我馬子は

土公祭祀由来の犯土(つち、ぼんど)で、

それは

土を動かしてはいけない

選日の一つで、


庚午(甲子から数えて7番目)から

丙子(13番目)までの7日間を

大犯土(おおづち、大土)という

重要な日を表しています。

午から子の期間ですね。

 

また、同族に近い

平群氏の馬飼から

推測すると


蘇我氏も

馬子の時代から

馬飼や馬具の生産に

関わっていたかもしれませんね。

(入鹿=鞍作)


更に蘇我稲目はイナ、

これは山幸彦の釣り針を飲んだ魚、


蝦夷は竈門のモウ、

纒向遺跡から出土した蛙、


入鹿はイルカ、

気比大神(土公)の贄のイザサ、

春秋去来神(田の神、山の神の贄)


です。



ですから

厩戸の名前にも

そんな意味があるのだと

考えています。

 


文、蛯原春比古さまに

帰属します

マネは出来ません!





ありがとうございます







ホント、おもしろい

発想です


椿大神社の

高山土公神陵は

猿田彦大神さまの墓所


天照大御神さまは

西に沈んだ後

土中に潜り

東から昇る際に

二見ヶ浦で禊ぎ

五十鈴川で清め、昇ります

内宮

正宮ー陽、和御魂

荒祭宮ー陰、荒御魂


太陽も

西に沈んでしまえば

姿はなく

日蝕、月蝕でも隠れます


ポジティブに生きる

だけではなく


人間らしいこころ

人を思いやる、優しい気持ち

悲しむこころ、涙

それも

人間として

持ち合わせているのだと

認識して生きる事が

大事なんです


こころを

白黒、分けてしまうのは

おかしなことだと

わたしは思います


愛する人を失って

ヘラヘラ笑えますか?

他人の不幸を

ザマーミロと思いますか?


ポジティブも過剰となれば

限りなく

陰に近づくのです