気になる「十二支縁起」 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 

 

 

 

 

最近、わたしが

気になる言葉

「十二支縁起」

とは

「十二支因縁」のこと

 

 

 

 

 

 
わかりやすい解説です
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

法楽寺さんの解説
文字が小さいです
 
 
Facebook
東賢性さまのお話を
シェアさせていただきました
何回かに
分けて話されています
ありがとうございます
 

 

 

 

 
十二支縁起の分析①
 
⚫︎十二支縁起について学ぶことの重要性
 
 
仏陀の教えの主な構造は
四諦であり、
 
これらは
「真実と見なされる事実」
であり、
通常は 
「高貴なもの」「聖なる」と
翻訳されます。
 
 
 
凡夫は
これらを真実とは見ないだろうし、
理解しないだろうし、
理解しようともしないだろう。
 
 
 
現実についての
非常に深い反省によってのみ、
これらの四諦を見る 「真実」は、
正確には
言葉ではないかもしれません。
 
これらはある意味で
 
本当に真実です。
 
それが何を意味するか見てみましょう。
 
 
1つ目は「苦しみの真実」です。
 
何が本当に苦しんでいるのか?
本当に何が問題なのか?
 
さて、私たち衆生が経験する問題は、
多くの異なる段階にあります。
 
多くの人々が見ることができる
これらの段階のいくつかは、
聖なるものではなく、
本当に問題です。
 
最初の段階は、
 
不幸、痛みなど
通常「苦しみの苦しみ」と呼ばれる
苦しみです。
 
これは
動物でさえ、
望ましくないものとして認識し、
彼らは取り除きたいし、
独自の方法で取り除こうとしています。
 
より微細な段階は、
 
私たちの日常の幸せです。
 
私たちの日常の幸福は、
基本的に完全に信頼できないため、
 
「変化の苦しみ」と呼ばれる
苦しみの一種です。
 
私たちの日常の幸せは
長続きせず、
満足のいくものではなく、
 
私たちはいつももっと欲しがり、
それが終わったら、
次に何が起こるか分からない。
 
日常の幸せが
「本当の幸せ」なら、
 
多ければ多いほど、
私たちはもっと幸せになるでしょう。
 
だから、
例えば散歩に行くなど、
私たちは
幸せなウォーキングになるかも
しれませんが、
 
あなたが
無限の時間、
歩かなければならなかった場合、
しばらくすると
あなたは、
かなり疲れて
その幸せは「苦しみ」に変わります。
 
もしそれが
「本当の幸せ」なら、
歩けば歩くほど、
あなたは幸せになるでしょう。
 
だから
私たちは座って、
それが幸せだと思い、
座ると幸せを感じますが、
 
長く座っているほど、
直ぐ
幸せが変わります。
 
もしそれが
「本当の幸せ」なら、
私たちが長く座れば座るほど、
もし私たちが
10年間
そこに座らなければならないとしたら、
私たちは幸せになるでしょう。
 
明らかに、そうではありません。
 
さて、この種の経験、
 
いわゆる
 
「世俗的な幸福」を
苦しみの一形態として識別するのは、
 
仏教だけではありません。
 
「世俗的な幸福をを放棄し、
天国や楽園の永遠の幸福を目指す」
 
と言う
多くの宗教があります。
 
だから、
その様な苦しみを
「克服したい」と思うことは、
 
特に仏教だけではありません。
 
では、
本当の苦しみは何か?
本当の問題は何か?
 
 
 
 
 
十二支縁起の分析②
 
⚫︎十二支縁起について学ぶことの重要性⑵
 
本当の問題は、
私たちの制御不能に
繰り返される集合体、
 
言い換えれば、
私たちが得る身体と心、
 
非常に簡単に言えば、
 
生涯後の生涯です 
 
 
輪廻による
再生のこの連鎖全体は、
最初の2種類の苦しみを
経験するための「基礎」を
形成します 
 
 
-不幸と日常の幸福- 
 
それが本当の問題です。
 
 
それが本当の苦しみ、
本当の問題です。
 
しかし
日常生活を送る他の人は、
 
これを「本当の苦しみ」として、
本当の問題として
 
認識していません。
 
 
さて、あなたは
他のインドの哲学の体系、
非仏教の体系があり、
 
この種の輪廻の再生を
「本当の問題」として見ている
と主張することができます。
 
しかし、この原因は何でしょうか?
 
そして今、
私たちはもっと深く掘って
行かなければなりません。
 
これが
「唯一の真実であることを見るだけ」
でなく、
 
釈尊は
本当のこと、
本当にこの原因について話し続けました。
 
 
 
今、私たちはより具体的に、
より完全な仏教の構造に入ります。
 
釈尊は、
 
私たちの問題の本当の原因、
この制御不能に繰り返される
輪廻の本当の問題は、
 
現実、
つまり
「私たちがどの様に存在するかに
気づいていない」ことだと
 
言いました。
 
釈尊が教えたことは、
 
少し先に進むと
 
「私たちが存在するには
不可能な方法を、
実際に私たちが本当に
存在する方法である」
 
と考えていることを、
認識しなければならない
 
ということでした。
 
それが問題です。
 
私たちは日常において、
常に混乱していて、
私たちは
 
「不可能な方法であるにも関わらず、
自分は存在する」
 
と考えています。 
 
他のインド哲学の体系はまた、
輪廻の原因は
 
「無知である」と言います。
 
しかし、
インド哲学の者が言うことは
 
「現実には不可能な事」であり、
「現実とは全く乖離した教えだ」とし、
 
従って残っているもの、
言い換えれば、
インド哲学の方々に
 
「私たちが存在する方法は何ですか?」
 
と問うた時に、
返ってきた主張に対して
 
釈尊は、
 
「いいえ、それも不可能です」
 
と言いました。
 
それが仏法の主張で、
特に特別なことです。
 
例えば、
ヒンズー教の思想の大部分の
基礎を形成する
『ウパニシャッド』を見ると、
彼らはまた、
 
「それは無知であり、
サムサーラを引き起こすのは
欺瞞であり、解脱を得たい」
 
と言います。
 
そして、釈尊が言っている
「不可能なこと」とは、
 
私たち全員が
別々に存在し、
私たち全員が
「ブラフマーと一体である」
ということです。
 
これを受け入れ、
信じる事自体が
 
「無知である」
 
と喝破したのです。
 
つまり、釈尊は
 
ブラフマーやアートマンの様な、
また普遍かつ変化せずに
 
指し示す事ができる、
固有の存在や状態を認めて
生きていく事が、
 
苦しみの原因であり、
輪廻の連鎖の原因だとしたのです。
 
幸せも、不幸も
そんなモノは無いし、
 
現実には
対応していないのにも関わらず、
 
これが幸せだ、
これが不幸だ、
これが私だ、
これが普遍の存在だ
 
と、決めつけいく事が、
 
この十二支縁起を
成立させている
と解き明かしたのです
 
 
真顔決めつけは
苦しみの堂々巡りから
なかなか抜け出せない
要因にもなっている
 
 
 
 
十二支縁起の分析
 
⚫︎十二支縁起について学ぶことの重要性③
 
さて、無知の識別は、
インド哲学学派の主張について、
仏法の観点から、
 
釈尊は
「それは真実ではない」と見ました。
 
ならば、本当に無知とは何か?
 
私たちが気づいていないもの、
 
私たちの混乱とは何か?
私たちの無知とは何か?
釈尊突きとめた真の無知とは何か?
真の無知とは何か?
 
本当の問題が本当の原因であり、
 
それにより
制御不能に繰り返される再生である。
 
そこで、
依存発生の連鎖である
「十二支縁起」の説明が入ってくるのです。
 
 
何故なら、この説明の構造で、 
釈尊は
 
現実の無知、
 
私たちがどの様に存在するかを、
実際に
 
「この制御不能に繰り返される
再生を引き起こすか?」
 
真顔なんで、こんなに苦しいんだと
考えて
あれのせいだ、これのせいだと
考えているうちに
苦しみのドツボにハマり
堂々巡りして苦しんでいる
 
曲が終わって
また聞きたいと、また再生する
繰り返し、繰り返し
 
 
 
を説明したからです。
 
従って、十二支縁起は基本的に
「再生がどの様に機能するか」
の説明で、
 
言い換えれば、
 
十二支縁起は、
 
私たちの無知を通して、
私たちの混乱を通して、
どの様に私たちが身体と心を持って、
何度も何度も永続させるかを
 
示しています。
 
これは
 
「不幸の苦しみ」
 
「決して満足しない
世俗的な幸福の苦しみ」
 
を経験するための
基礎として機能します。
 
 
真顔永続とは、堂々巡り
十二支縁起とは、苦しみの堂々巡りを
表したものなんですね
 
 
だが、釈尊は
「これが私たちの輪廻の苦しみを
永続させる方法です」
と言って、
それが
「どれほどひどいか」
について
文句を言った訳ではありません。
 
釈尊は、
 
「それを確実に止めることは
可能であることが分かります。
言い換えれば、
あなたはそれが
二度と再発しない様に、
本当にそれを止めることができます」
 
と説いた。
 
それが3番目の四諦の真実です。
 
言い換えれば
釈尊は、
これらのインド哲学学派や
他の信念の体系、
他の説明の体系で、
 
「あなたは本当に輪廻の再生と、
全ての苦しみを止めなかった」
 
ことを見ました。
 
多分、あなたは
いくつかの信じられないほどの
瞑想的な状態に入ることができ、
この状態は非常に長い間続けるでしょうが、
 
あなたは
本当に起こっていることを、
何も認識していなかったので、
それは終わった様に見えるでしょう。
 
真顔苦しみの原因、元の元を
しっかりと
見ようとしないので
終わったように見えても
何も終わってはいない
 
 
 
 
十二支縁起の分析
 
十二支縁起について学ぶことの重要性④
 
 
しかし、
あなたの輪廻の苦しみは
再発し、それは戻ってきました。
 
一部の人々、普通の人々は
考えるでしょう。
 
そして私たちは
西洋でも一般的に、
人生には浮き沈みがあり、
 
「それと共に生きることを学ぶ」
という信念を持っています。
 
そして、
私たちができる最善のことは、
様々な問題に耐え、
それに対処することを学ぶことです。
 
それは多くの場合、
 
西洋の心理学のアプローチですよね?
 
真顔苦しみから、耐える、
苦しみとともに生きる
それで収めよう
それは
たぶん、心理学的な、
カウンセラー的な
西洋医学的な考えだ
ということだと思います
 
 
しかし釈尊は、
それが二度と再発しない様に、
 
輪廻のサイクルを終わらせることが、
本当に可能であることを
見ました。
 
だから、それは
 
「本当の停止」で、
 
4番目の四諦は、
釈尊が
 
「本当にこの確実の停止に
繋がる心の道を見た」
 
ということです。
 
これはしばしば
「道の真実」または「真の道」
と翻訳されます。
 
しかし
私たちは、
あなたが歩く道について
話しているのではありません。
 
私たちはここで
「心の状態」、「解脱につながる道」
として機能する、
理解の一種について話しています。
 
だから、それは本当にあなたが、
これを行う段階について
話している訳でもありません。
 
それは一歩一歩の観点からで、
これはあなたが必要とする種類の心です。
 
それは「心そのものの理解」について
話していて、
これは解脱をもたらすものです。
 
 
真顔苦しみの、元の元に
しっかりと向き合って
あれから自分の苦しみが始まり
その後の要因が重なり
堂々巡りしていたことに気づく
自分を理解する
 
 
そして基本的に、
私たちが想像する
これらの
 
「不可能な方法で
存在の様なものが存在しない」
 
ことを理解すれば、
 
その様なものがないことを
理解すれば  -
 
それは
「空」の説明で話していることで、
 
それは
無知の欠如、完全な私の不在、
アートマンや
自我がある様なものではありません-  
 
そうすれば、
あなたは
解脱を得ることができます。
 
その解脱が、
実際にどの様に起こるかは、
「十二支縁起の観点」からも
説明されています。
 
従って十二支縁は、
 
「順」に説明することで理解できます。
 
1つは2つ、2つは3つなどを
生成します。
 
これは
「輪廻をどの様に永続させるか」
を説明しています。
 
または、
輪廻から抜け出す方法を説明する、
「逆の順序」で
理解することもできます。
 
言い換えれば、
「縁起番号12」を取り除きたい場合は、
 
「縁起番号11」に依存して
発生するため、
 
「縁起番号11」を取り除く必要があります。
 
では、どうやって
「縁起番号11」を取り除くのか?
 
さて、あなたは
「縁起番号10」を
取り除かなければなりません。
 
そして、それを取り除くには、
「9番」を
取り除く必要があります。
 
そしてその様に、
それは私たちが
十二支縁起を理解する方法であり、
 
十二支縁起を
「逆の順序」で理解することは、
私たちが実際に
輪廻から抜け出す方法を示しています。
 
 
真顔ひとつひとつ、
苦しみのひとつひとつを
取り除くためには
ひとつひとつ、苦しんだ意味を
理解する
理解する事によって
ひとつひとつ、消えていく
そして
元の元にたどり着き
理解することによって
解脱する
 
誰のせいだ、ではなく
そうなった原因
その誰かだとしても
わたしの場合は
「可哀想な人」「無知な人」と
思ってきました
そして、
「今に見てろ」と
黙って過ごしています
 
中学の時
イジメられていた農家の子たちを
助けるために
お手伝いしたことで
わたしは無視され続けました
だから
その人たちに勝つためには
勉強で上になってやる!と
その子たちと
勉強会を開いて、
 
下から数えたほうが早いような順位を
上げて
周囲を唖然とさせたのです
彼女たちは
高校に行けないくらいの成績だったんです
彼女たちも
頑張りました
そんなこともありました
 
 
他人にした仕打ちを返すには
 
黙って「気」を発し続けたほうが
より強力だからです
 
 
 
手を出したら
また、十二支因縁は堂々巡りとなるからです
 
 
 
 
従って、
十二支縁起依に関する
この教えは、
 
四諦の理解に、非常に関与しているか、
または表しています。