前世の子供達のこと。 | さんざのブログ

さんざのブログ

ハンドメイド作家のさんざです!
裏話やたまに前世の記憶話、等Instagramとかに書けない話を書いてますw

東海3県の移動販売催事主に、回ってます。

わたくしごとですが、

次女と大阪に13日いってきました!




今回大阪に行くのに、前回より守りが手薄なのは


出発のときからしまった、、と感じていた。






案の定、大阪入る前から激しい頭痛で

マジで身体がいたくて



高速降りるところもナビの指示通りの方向に行ったのに

間違えてしまい、、



(なんかあるかもと想定して早めに到着するようにしていたので、よかったけども。)





次女も、戦国時代の前世のときに明らかに

森家の身内の誰かでした。





前は本当に場所の影響、環境の変化に敏感で

よくお腹が痛いと言っていたけども。



今実は芸能活動をしていて。

まだ無所属の卵ですが。

13日はそのイベントに参加しに行ったのでした。




本格的に頑張り出したのが、ちょうど1年まえくらいから。


思えば、このときあたりから環境の変化でお腹が痛いなどと言わなくなりました。




きっと、今年の頭に、めちゃ頑張っていた

某有名ファッションショーのキッズ部門にエントリーしていて、



そこの東海地区ファイナリストにダンスやウォーキングレッスンがあったのですが、



指定場所がきれいに、戦国時代も縁のあった


「岐阜」と「一宮」で。



岐阜なんて、本当岐阜城の近くだったから


レッスン時間にわたしは暇だったので


岐阜城散歩したり


当時の仲間と(霊だけど)話に行ったり



一宮は真清田神社でお水を汲みに行けと言わんばかりに

これもすぐ隣の会場すぎて



本当にうまくできてるな、と思うような場所で



たぶん次女はこの時に精神的にも強く、



そして信長さまのお膝元でパワーアップ覚醒したのか



最終オーディションも岐阜だったのですが



ダンスが予定していたものと全く違うものになっていて

まさしく何かが降りてきていた様子でした。





なので今回大阪に行っても、秀吉軍の影響をうけることはなく、


次女はめちゃ元気でしたが



私は見事に身体が痛くて痛くて

全身斬られたかってくらいで


昨日まで寝込んでいました、、ガーン



なさけなさすぎる、、


そして私どうしてここまで弱くなった、、



なんにせよ、次女になにもなく、よかったです。





私は森可成で

長男は義隆。

次女、長女は亡くした子たちのうち、どの子かな、と思っていて


次女は面倒見のよい性格から、

長可か、、でも見た目が

次女はちんちくりんなので


長可の奥さんでもあった、恒ちゃんとこの

せんちゃんにも、気の強さが似てるなーと




ちなみに有名な乱丸はうちの子達の中にはいません。

あの子は聡明ですこしちがっていた。


当時の濃姫と言われている方と話した時も、

私と同じことを言っていた。


乱丸はもしかしたら、森家の息子ということになっていたが、

本当はどこかの御子息をお預かりしていたのだと思います。




ひとつ気になっていたことがあります。



ヒプノセラピーを2年前にうけたとき、

現在の3人の子供達は、当時の子供たちでしたか。と

姫が質問をしてくれときに



ざっと浮かんだビジョンは、血を流した子供たちで。


幼い印象だったんです。



戦で死んだと当時の私は言っていました。

ヒプノセラピーのときに話していた私の声は、男になっていたんです。

自分でもびっくりしました。



戦で死んだ=誰かに殺されたのでは?と


今日ふと疑問がよぎりました。




そしてなくなった子供達の代わりに、


養子をとったのではないかと。




そしてそのうち3人の子供達は。


信長さまのお小姓として

とうに元服して武士として戦に出ても良かった世なのに。


なぜか1番安全な殿のおそばにいたのですよね。




守られるべき子達だったのではないか。




信長さまが男色だったのではなどいろいろ話が尾鰭がついてきたのは、後々の話なんですよね




このあたりは歴史が覆されてしまうので



信じない方はかまわないですが




親戚の血筋でもなかったはずの森家が

こんなに待遇がよかったのは


他の家来たちにとっても面白く思わなかった人もたくさんいたと思います。



私は当時も現代も、嫌味を言われていても

それが嫌味と気づかないくらい


鈍感で笑



あとで家に帰ってあれってどういう、、と考えて



ああそういうこと!と遅れて気づいて一人でムカつくタイプなので




言いたい奴には言わせておけ、という感じでしたが




武功をあげて出世したい!欲のギラギラな秀吉とは

タイプがだいぶ違っていて



むしろわたしは親方さまの、

戦のない世の中にするために、天下統一を目指すために

動いていたので



それなのに

森家への好意と待遇をよく思わない人たちには

きっと当家は邪魔だった者もいたのかな、と



ふと思いました





長可は本当は徳川につきたかったのだと思う



だけど体裁上、

奥さんの父上の恒ちゃんが秀吉軍だったから


亡くなる時まで義理父と一緒だった



長可本当に頑張った




本当に若くして当主の責任を負わせてしまった




親父としてはもっといろいろなことを教えてあげるべきであったと。




少し前から疑問に思っていたことが


最近少し点と点がつながってきました



もちろん本当に辛い思いだしたくない記憶は

何かブレーキがかかっていて、


思いだしても、感性にひきづるような、記憶は

また扉が閉ざされる感じがします




思いだした時に、とにかく書き留めているので


過去に投稿した内容と重複しているかもしれませんが。



戦国時代の子供達の謎は、今回初めて書きました。


まだすべてがわかったわけでもないのですが

また分かり次第、報告という形でブログに書いていけたら、と思います。