階段・・・其の四 | 私的、大東流合氣武道の考察 ~達人への道は達成できるのか~

私的、大東流合氣武道の考察 ~達人への道は達成できるのか~

大東流の一修行者です。日々思った事を書きます。最近、巷の道場、間違いが多いと感じます。
悩んでる修行者に是非見て貰えたらと思います。

民家の階段②
数字ばかり続きますが、
もうしばらくお付き合いを!
Ⓐ明治10年(1877)~
明治37年(1904)
の4件の和風建築
(表階段と裏階段を持つものも含む)
の階段の平均値
↓↓↓
★勾配・・・51度 急角度!!
★踏面(足を載せられるスペースの奥行)
・・・6寸1.8分(18.7254㎝)奥行狭い!!
★蹴上(1段ごとの高さ)
・・・7寸9.2分(23.99cm)高い!!
でしたね。
ちなみに
大正8年(1919)に市街地建築物法
勾配・・・56度以下
蹴上(1段ごとの高さ)
・・・7寸5分(22.7㎝)以下、
踏面(足を載せられるスペースの奥行)
・・・5寸(15.15㎝)以上でした。
今回調べたデータ
蹴上だけ市街地建築物法より
1㎝以上高いですね。
というより市街地建築物法は
かなりきつい条件に思います。
その証拠に大正以降に建てられた
和風建築の階段は現代のそれと同様に
市街地建築物法の条件よりはるかに
勾配は緩やか・踏面は広い・蹴上は低いでした。
具体的には
Ⓑ大正~昭和初期 
に建てられたデータの残存する
の5件の和風建築
(表階段と裏階段を持つものも含む)
の階段の平均値

↓↓↓

勾配・・・41.88度 緩やか

★踏面(足を載せられるスペースの奥行)

・・・7寸8.5分(23.55㎝)広め

★蹴上(1段ごとの高さ)

・・・6寸7.6分(20.28cm)低め

築年が冒頭の明治の物件から
10~20年後になるだけで
こんなに変わりました!!
勾配はこんな感じ
ちなみに我が家は

★踏面(足を載せられるスペースの奥行)

・・・22.3㎝広め

★蹴上(1段ごとの高さ)

・・・19.2cm)低め

でⒷ大正~昭和初期のそれと
ほぼ変わらなかったです。
階段の事を長々と述べましたが、
武道に関係ないじゃん!と
思われるかもしれませんが、
関係は大有りだと思います。
以上の結果を踏まえて
次回述べます。