介者剣術の歴史
平安時代(794年~1195年) に製鉄技術が大陸と遜色無いまでに発達し 湾曲した日本刀の原型の太刀が誕生しました。 刀の柄がそれまでより長くなったため片手で 持つスタイルから両手で持つスタイルに なったようです。 室町時代(1336年~1573年) には甲冑の隙間を埋める防具が発達し、 民衆も刀を携帯するようになったようです。 従って 戦国時代15世紀末~16世紀末 (1493年:明応の政変~ 1590年:秀吉の全国統一) 頃には 介者剣術 (甲冑を着た状態で用いる剣術) ができていたものらしいです。その後 江戸時代(1603年~1868年)では 戦国時代の終焉と同時に甲冑は、 不要となり平服の世の中になったので、 介者剣術は終焉を迎え素肌剣術に 移行したようです。 新陰柳生流にはの資料がいっぱい 残っているようで、丁度、 介者剣術から素肌剣術に かけての変遷がわかります。 ①上泉秀綱(1508-1582)の頃は 介者剣術ばかり、 ②柳生宗厳(1529-1606) ③柳生利厳(1579-1650) ④厳包(1625-1693) の時代になるにつれて 勢法を一部削除したり 新たに考案した 勢法を付け加えたりしているようです。 介者剣術の構えや教えを否定的に取り上げ 素肌剣術の構えや教えを説くように変化して いるようです。 丁度、 介者剣術の終焉 (素肌剣術の誕生)の時期が 戦国時代~江戸時代 に合致しているのは面白いですね!! |