※変身中のようです
※変身中のようです
頑丈なだけが取り柄の私なんで、あまり深く考えてませんでした
「調子が悪いとキャンタマが腫れるなあ」
みたいな。
ちょうど同じ時期ぐらいに関節リューマチだと
医者に言われて、キャンタマなんか後でいいや
どうせこの先使い道もねえし・・・
と、思ってたんでしたが、これが間違いでした。
確かに使い道はないんですが、とは言っても体の一部だし
何と言っても同い年のせがれのパーツです。軽く考えては
いけませんでしたね。
時は流れて今年の夏のある日
生まれて初めて夏バテしました。それも、毎晩40℃の
高熱が出て、1時間もすると平熱に戻る、寝汗を尋常でなく
多量にかく、ふらつく、食欲が落ちる、なんかダルい
人相が悪い、あ、これは生まれつきだ
とにかくそうした症状が続いてました。
で、かかりつけの医者に行ったら
「うちじゃあ扱えない何かだねえ」
と言われて別の病院を紹介され、そこでは
「うちじゃあ手術までは出来てもアフターケアができない」
ということで、また別の病院を紹介されて、そこで出された
診断が「悪性リンパ腫」でした。この診断を出すために
私の大事な右のキャンタマは摘出されてしまいました。悲しい
若い諸君が間違ってこれを読んでいたら、強く言いたい
「健康診断は必ず受けろ!」
若さを過信して油断すると、いつか大切な何かを失うことに
なるかもしれないんだぜ。例えば来週あたりに犯罪に手を染めようとしているとしても、健康にだけは気をつけなさい。
そういうわけで、これから半年ぐらいは闘病生活に入ることに
なったんですが、仕事もしないで家にいると、猫の相手かブログを書くぐらいしかすることがないので、また書いてみることに
しました。ブログっていうよりは日頃の鬱憤晴らしだね。
だって最近はくだらねえ事件とか出来事が多いもの。
おそらく我々の親の世代が、若かった我々に感じてたことを
同じように感じてるんだと思います。今の世間に。
”時代が変わった”
というのはこういうことなんだろうけど、それにしても
おかしいと思うことが多すぎる。
そういう不満や疑問を、誰も見てないのをいいことに
思いっくそ書き捨てていくんだ。だから、まかり間違ってこれを
読んでしまった人の中には、すげえ不快感を持つ人もいるはず。
なら、読まなきゃいい。それでいいんだよ
ちい(本名うずら)との短くも濃厚な日々が
突然の終焉を迎えて一ヶ月・・・。私と家人の共通の想いは
新しい家族が欲しい!このことでした。
心にポッカリんと空いてしまった大きな穴は、美味しいものを
食べても、面白い映画を観ても、そう簡単には埋まりません。
子猫の里親募集とか、保護猫の譲渡会、なんてチラシを見るたびに
家人と「行ってみようよ」「いや、でもなあ」なんて会話を重ねます。
私がそういうところに二の足を踏むのにはワケがありまして、
我が家はいわゆる”ペット可物件”ではないんです。
本来はペット禁止なんですが、暗黙の了解といいますか
飼うなら他人に迷惑かけないようにしてね、的なところなんです。
エレベーターなんかでも犬や猫を連れた人とよく乗り合わせますし
玄関前に堂々とペット用のカートを置いている家もあります。
我が家にしても家人が20数年に渡って多数の猫と暮らしてきてますし
ある意味では、普通のペット可物件よりもペットに関するマナーが
キチンと守られているようなところなんです。でも、
本当は、基本的には”ペット禁止”なんですよねぇW
ちゃんとした「譲渡会」なんかでは、絶対に譲ってもらえないんです。
私や家人がどんだけ猫が好きで、どんだけ猫を大事に育てるか・・・
なんて、言葉や文字では伝えきれませんし、現に住んでるところが
ペット禁止なのは動かしようのない事実なんで・・。
「え?じゃあさ、じゃあさ、今までのにゃー達ってどうしてたのさ?」
「拾ったんだよ。」
「どこで?」
「そこいらへんで」
「じゃあさ、そろそろ次の子、探さない?」
「おっけーで~す」
とても50代の夫婦の会話とも思われませんが、こうしたわけで
我が家の”次のにゃー捕獲作戦”は、静かに始動したんでした。
そんな当たり前のことに改めて打ちのめされてます。
私と家人の愛した”ちい”こと、うずらが、22年の
猫としては長めの生涯に幕を下ろしました。 その日・・・
夜7時ごろに見た時は、呼吸の乱れもなく
目を開けて私を見ていました。絶好調ではないにせよ
普段通りの”ちい”でした。
しかし、1時間後に様子を見に行くと
眠るように静かに逝ってしまっていました。
その時は悲しくありません。驚きのほうが先でした。
寝ていた家人を揺り起こし、
「ちいが、逝ったようだ・・。」
「うそ!?え?なんで?」
「寿命が尽きた、そういうことだろう。」
改めて”ちい”を見ると、最後の毛づくろいをした跡が
後ろ足に残っていました。それを見た瞬間に
突然悲しさが、フルボリュームで鳴り出しました。
衰えていたとは言っても、そんなに急に逝ってしまうとは
思ってもいませんでした。
十分すぎるほど大人の私は、いくら愛猫が亡くなったとはいえ
そんなに落ち込むことはないだろう、と思ってました。
でも、食事もろくに取らないまま3日が過ぎてみて
ようやくわかりました。悲しみに年齢制限なんてないんだ、と。
そして、自分で思うよりも深く、私は”ちい”を愛してたんだ、と。
ちい、さいなら