足立区の中心で、猫の名を叫ぶ | 君 の にゃー は ?

君 の にゃー は ?

フツーのオッサンが
猫好きじゃいけませんか?

生きていく、ということは

死にゆくものとの別れを

重ねていく、ということ

親しいものとの別れのたびに

思い知らされます

”生まれたものはいつか死ぬ”

 

そんな当たり前のことに改めて打ちのめされてます。

 

私と家人の愛した”ちい”こと、うずらが、22年の

 

猫としては長めの生涯に幕を下ろしました。  その日・・・

 

夜7時ごろに見た時は、呼吸の乱れもなく

 

目を開けて私を見ていました。絶好調ではないにせよ

 

普段通りの”ちい”でした。

 

しかし、1時間後に様子を見に行くと

 

眠るように静かに逝ってしまっていました。

 

その時は悲しくありません。驚きのほうが先でした。

 

寝ていた家人を揺り起こし、

 

「ちいが、逝ったようだ・・。」

 

「うそ!?え?なんで?」

 

「寿命が尽きた、そういうことだろう。」

 

改めて”ちい”を見ると、最後の毛づくろいをした跡が

 

後ろ足に残っていました。それを見た瞬間に

 

突然悲しさが、フルボリュームで鳴り出しました。

 

衰えていたとは言っても、そんなに急に逝ってしまうとは

 

思ってもいませんでした。

 

十分すぎるほど大人の私は、いくら愛猫が亡くなったとはいえ

 

そんなに落ち込むことはないだろう、と思ってました。

 

でも、食事もろくに取らないまま3日が過ぎてみて

 

ようやくわかりました。悲しみに年齢制限なんてないんだ、と。

 

そして、自分で思うよりも深く、私は”ちい”を愛してたんだ、と。

 

ちい、さいなら