2024中国茶産地訪問⑯鳳凰山太平寺と鳳凰単叢の功労者?!呉六奇 | 船橋市茶文化資料室

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撮影:20240515 撮影場所:広東省潮州市潮安区鳳凰鎮鳳西村大庵自然村にある太平寺

 

鳳凰山の「太平寺」はかねてから鳳凰単叢のゆかりの地であることを知っていて、大庵を訪ねたらかならずお参りに行くと思っていた。鳳凰山脈の烏崬山の中腹にあるので烏崬山の天池の帰り道に寄ることにした。大庵古茶園は大平寺のすぐ隣にあるのでその日は午前石古坪、午後は烏崬山天池ー烏崬村(李仔坪)ー大平寺ー大庵古茶園ー鳳凰鎮の宿に戻るというコースでタクシーをチャターした。450元。日本円で1万円ちょっと。友人と二人で割り勘をしたから一人は約5千円でこれだけ廻ったことは大変お得感があった。運転手は一日目にお願いした人でとても感じが良かったので引き続き翌日の車もお願いした。私は中国で旅をするとき、よくこのようなやり方でタクシーを頼む。初回は「滴滴出行」(ディディ)アプリを使ってタクシーを呼ぶが、その時、もしとても感じのいい方なら電話番号を教えてもらってその後のタクシーもその人にたのむことにする。タクシーの運転手もその方が喜ぶ。なぜなら「滴滴出行」(ディディ)アプリを使うと支払う料金の一部は「滴滴出行」に取られるから。その日の運転手は李君という若い男性で住まいは潮州市内「楓渓区」のようで朝百キロ以上運転して私たちがいる「鳳凰鎮」に来てくれた。

 

話が長くなったが、大庵村の入り口に城門のような石門がある。

村側(内側)に「敦誠」、外側に「馥馨」と彫っており、「敦誠」は村の民風、「馥馨」は茶の香りのことだろうか、

大庵大平寺。とても小さな寺だ。

香炉に鳳凰山大平寺と刻まれている。

右横の石碑がある。これはこの地域の茶のことが書かれている。重要重要、これをみるために来たのだ。そもそもこの寺があったから「大庵村」と呼ばれるようになった。大平寺の別名は「大庵」だったのだ。記録によると、昔もっと規模が大きかったが、、

鳳凰山大平寺は清初の名将・呉六奇(1607-1665)によって創建され、当時呉六奇は饒平県の総兵官だったという。(当時大庵村は饒平県の管轄下)。創建当時の境内はかなりの規模だったようで(故に大庵)、今はその面影がない。これは「baidu」からの写真。修復される前の様子。

修復後の石碑。「天下太平万民安宁吉山建禅寺、太平万古名寺,宇三峰,屏天池,甘露清,召龍虎垂拱、、、」と石碑の内容。

さらに石碑に「広闢茶山...」との記述はあり、当時の饒平県総兵官・呉六奇(1607年-1665)年は明朝軍だったがその後清朝に投降し、大活躍した人物。この石碑によると、明末清初の頃に、呉六奇が鳳凰山大庵辺りに開墾し、茶の栽培をさせたという。鳳凰単叢の栽培歴史はこのころからスタートと。

鳳凰単叢栽培の起源は諸説があり、「宋種」という600年以上の茶樹があるゆえ、呉六奇が栽培をスタートさせたという説はやや不人気があるが、鳳凰単叢を普及させた一因として呉六奇の功績があるようにみえる。ただ、この寺を修復される前の石碑に「茶栽培」について触れておらず、呉六奇が大庵周辺で茶栽培をさせたという史実の信ぴょう性について私には判断しかねる。地元の茶関係者は呉六奇について特に興味がなさそうで、お茶の間の軽い会話では鳳凰単叢の起源と言えば「宋種」というムードばかりで呉六奇の名前が出てこなかった。