期待するから失意のどん底へ落ちる(私がブログを始めるまでのこと)② | 心をパステルで描いてみようよ♪

心をパステルで描いてみようよ♪

「パステル和アート」
「曼荼羅アート」
「点描曼荼羅」と出逢い
描くことで自己表現できる幸せを感じています(*^^*)
その時その瞬間、感じる色 イメージを大切に。。。
梵字・龍体文字・カタカムナウタヒ・写仏と曼荼羅アートを併せたオリジナル作品も描いています

親になったからと言って

子どもを育てられるとは限らない・・・

 

 

 

 

元夫のもとへ泣く泣く2人の子たちを戻したものの

 

元夫は「子どもを捨てるのか!」と

視覚障がい者の私の両親に対しては

「障がい者が子ども(私の産んだ)を育てられるわけがない」

などと、平気で言ってきたり

 

それでも、中学2年と3年になった2人子たちのことは

面倒見るだろう・・・と

しかし、そう思ってしまったことに、すぐに大きな後悔をしました

 

 

元夫は仕事はしていたものの

お金は全部、自分が使ってしまう癖がつづき

もちろん借金は当りまえ・・・

2人の子たちの給食費を払うことなく

家事いっさいを子どもたちにやらせて

 

せっかく頑張って高校に入った長男
制服を着た姿を見せに

嬉しそうに実家に来たのに・・・

高校の授業料を元夫は滞納し続けたために

長男は中退せざるを得ず・・・

父親と暮らしてましたが、自分でバイトをして

生活していました・・・

父親が「お前たちは母親に捨てられたんだ」と洗脳し

長男の口から私のことは「もう母親とは思わない」と決別されました

その後は次男からの情報で

長男は借金を重ね、東京へ出て行った結果

犯罪を犯してしまい収監されたとのこと・・・

元夫に連絡行っても「関係ないから」と無視されて

義母と義妹が身元引受人になり連れ帰り

義母の元で生活することになりました・・・

 

 

次男は一人残され、家事をやらされながらも

学校の友人や先生に恵まれたおかげで

中学卒業後、推薦で高校に入学できました

もちろん、中学の給食費はまったく父親が払うことなく

あとから少しずつお返しする方法で

高校の授業料も、同様に対応して頂けて

次男が働けるようになってから、頑張って返済をしたのですが・・・

 

次男も家にひとりでいることはつらく

友人のお宅でご飯を食べさせて貰ったり

泊まらせて貰ったり

お友達の親御さんにたくさんお世話になったのです

 

大けがをしたときは

私や母が通院に付き添い

(医療費が学校の部活中のケガだったために

スポーツ共済から全額返金があっても

当然のように、元夫はこちらに渡すことはなく使い込み)

送迎をしたり実家で面倒見たり・・・

 

次男は高校卒業後は良い会社に入社出来て

アパートを借りて生活

アパートの初期費用、生活用品は私が準備して

 

結局、2人とも父親から離れました

 

 

私のことを

「子供を捨てたひどい母親で、浮気をしていた」

「お金を使い込んでいた」

など・・・元夫と義母や義妹たちはうわさを流し

狭い田舎のまちでは、すぐにうわさは広まり

とんでもないところから

そういううわさが流れていることを知りました・・・

 

それでも、人の噂も七十五日・・・そのうちに消えていくだろうと

ほうっておきました

 

 

 

そういう人格の人間相手なので

離婚するまでも時間と労力が必要で

 

私は実家の協力を得ながら

息子を育てつつ

仕事もパートから正職員になり

ウィークデイは朝から晩まで働き

週末は当直・・・代休なし

 

年休を使って「離婚裁判」をおこし

3年かけてやっと離婚することができました

弁護士さんが養育費も

元夫の会社の給料から天引き手続きを取って下さいました

たった月2万円でしたが・・・・

 

 

数年後、案の定

元夫は次男や義母や義妹から借金を繰り返し

会社内では、女性社員に手を出したり

ある日、とんずらしていなくなりました

県外へ逃げたのです・・・

 

 

 

 

動悸がひどくなってきたので

また、つづきはのちほど