橋の下 管の隙間が なかりけり | 神田勇哉のブログ

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フルーティスト 神田勇哉の日記


オーチャードホールと



サントリーホールにて



ダン・エッティンガー氏との定期演奏会。




蝶々夫人の姫路ツアーを挟みながらのブルックナー演奏は、

いや実に痺れた。😑



なんてったってブルックナーの4番は

演奏時間   1時間20分。


「先月も大曲やったよなぁ…」

と、6月の定期トゥーランガリラを思い出しながら、

この交響曲も集中力の糸を緩めずに

必死に脳汁かき回して頑張ってました。





ここからは、ただの勝手な個人的感想。


私は普段は、音楽を

フランス、イタリア、ドイツの演奏家で聞くようにしてて

ユダヤ系のアーティストってのは

あんまり触れる機会がないんだけど、


例えば

ヴァイオリンだったらズーカーマンやパールマン

指揮者だったらバレンボイム、バーンスタイン。


彼らの歌い方ってのは、ヨーロッパ諸国のクラシック音楽とは少し違って

とにかくゴリゴリ、ブリブリと鳴らしたりする。



もちろん人によって音楽は様々だし

私もちゃんと研究したわけではないが…

傾向としてそんな気がした。




今回のエッティンガー氏もイスラエル出身。


四分音符や付点の繰り返しがあったりすると

ひたすら濃厚なテヌートで演奏するよう指示があって、

あ!これ!ユダヤだ!

とピンときた。



音って舞曲感をだしたり、ベルトーンを作ったりするとその分エネルギーをロスする。

古楽なんかその典型で、音色の減衰を楽しむ音楽。

そして音は大きくない。



逆に先に語った通り、

出す音の全てのフィギュアを犠牲にして音圧マックスにすると

エネルギー量が最大になって音がでかくなる。



私はこういう吹き方は演奏会ではまったくやらないが、

コンクールなど勝ち抜きの時のアドバイスとして役に立ったりする。


かつて吉岡アカリさんにこのやり方を教わった。


ユダヤと括らずとも80年代の有名な演奏家を今聞くとほとんどがこういう弾き方。



そのアンチテーゼとして古楽が流行ったのではないか?

という側面は大いにあると思う。





東京フィルSNSより。


お聞きくださった皆様

ありがとうございました😊





話変わって…


ブルックナーの改訂癖ってのは有名。


やれノヴァーク版だハース版だ、

そんな存在が我々を悩ませるのだが、



マグナムトリオの合わせの時、

多久さんが

今まで何度もやって来た曲を

「今回はここを変えてみよう。」って

突然新しいバージョンにアップデートする事がある。



そんな時はいつも

「あ!ブルックナーだ!」

と思う。



この変更をキチンとわかりやすく記録に残しておかないと、「ブルックナーの版問題」みたいな事が起きる。


そして勝手に多久さんの音楽が後世にも語り継がれるように、

私がきちんと整理しておかねば…と


勝手に思うのである。笑



でも僕の方が多久さんより長生きする

という保証はどこにもない。笑




あっという間に七月は終わっていた。


毎年言ってるけど私は夏が好き。

このまま終わらないで欲しい。