自由だぁ〜!って言ってた芸人さんは生き残った | 神田勇哉のブログ

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フルーティスト 神田勇哉の日記


本日は音大での楽器末試験。



皆様 頑張って演奏してくれました。




普段練習してる

「部屋ではわからないアコースティック」が本番だけ牙をむく。


例えば自分の低音が全然鳴らない、とか

又は突然ピアノの伴奏が突然大きな音量に聞こえる。とか。


当日だけ音量感を狂わされるってのも

なかなか酷な世界。


 

普段から広い部屋とちゃんと調律されたピアノと

何回でも演奏してくれる伴奏者がいたら

もっと上手くなれるのに。


と思うのだが…



本番になってみないと、どうなるか分からない

っていう特殊な仕事や試験は

この世に沢山あるので、


とにかく積極的に場数を踏んでいくしかないのです。





とんでもない雪。


試験終了後 帰路に着くが電車は当然遅れてる。

 


私はいつもより30分押しくらいで帰宅出来たが、

他のとある先生は2時間経っても

「まだ電車が動かなくて帰れません」


と言っていた。お気の毒.


都会は雪に対して脆弱だ。❄️





話は変わって…こんな記事を見た。




記事の内容は


とある大学の授業にて

「授業の邪魔さえしなかったらなんでもやっててくれても良いよ。立ち上がって伸びをしようが、鍋をやろうが…」

と言った教授がいて


そしたら本当に学生さんが

授業中に鍋を始めた、という話。



話題を写真や文字で見ると

へぇ。アホやな。で終わるのだが、


日常の生活で、こういうネタを実際に形にしようと思うと

意外に器具の準備やら会場の下見やら

周りの許可やら大変になるし


食材を買ってる時

「なんで僕はこんな事にお金を使ってるんだ??」

って気分になるし


その学生さんは「鍋をやろう」と決めた覚悟含め、

当日決行の瞬間まで、なかなかに緊張した事だろう。



「自分 芸術家やってます」とか

「面白いインスタレーションを作りたい」って

変な事をやるのが飯の種の人なら

別にどうって事ない事。


でもこの方はただの一般人。


ハードルの高さが全然違う。



大学時代の「自分は特別だ」という

謎の万能感がなせる技。


世間ではそれを若さと言う。




というかその子も別に

鍋なんてやりたい訳ではなかっただろう。


教授が口には出した

「そんなバカな」な概念の例の一つである

「鍋」の実現のため実際に動いた学生さんは


とにかくあっぱれである。


いつまでもこんな人間でいたいものである。