こんにちは。
今日のわたしは
極力なにもしないでみる、を
やってみているところです。
ここ1週間ほど
いろいろな気付きがありました。
わたし
かれとの間においても
きっとたくさん
無意識に
無理をしていました。
自分が本当にやりたいことと
本当はやりたくないこととを
正確に認識することすら
出来てなかった。
かれが毎日
そばにいることで
わたしは
「本当はやりたくないこと」まで
楽しい、嬉しい、幸せ
と思っていた。
だって
パパ(かれ)が毎日
わたしの隣にいてくれるなんてこと
なかったんだもの。
他の誰かではなくて
わたしだけが特別でいられる
その環境がただ嬉しくて
ずっとここにいてくれるなら
大事だと言われなくても
ありがとうと言われなくても
ごめんねと言われなくても
優しくした後そっけなくされても
放っておかれても
それで良いって思ってた。
わたしはいつも
かれにだけではなくて
いろいろなことに対して
お節介焼きで
誰かが穴に落ちないように
先回りしておいて
自分が穴におっこちちゃって
誰かがそこを通る前に
穴を埋める作業を1人で必死にやって
泥だらけになって穴を塞いだ頃
何も知らない誰かが
わたしの横を
当たり前みたいにして通って行くの
良かったんだよ
だってあの人落ちなかったもん
わたしの望み通りじゃん
ねぇ、なんでわたし
後悔してるの?
なんでわたし
悲しくなってるの?
ねぇ、待って
わたし
あなたのために
穴を塞いだんです。
せめて、こっち向いて。
出来れば
一言だけで良いから
ありがとうって
言ってくれませんか。
過ぎて行くその人の背中を見ながら
言われたい言葉は
最初から望んでなんかいなかったと
自分の中で
なかったことにした。
見返り欲しさにやってるなんて
自分では認めたくなかったから。
でもさ
顔を見て、ありがとうね、
くらいさ
それを「見返り」と言うなら
世の中、感謝の言葉なんか
存在しないよね。
わたしは
「そばにいてくれる」ことと言う
自分の望みか叶ったのだから
温かい言葉をかけられたり
大事にされたり
ありがとうやごめんねを言われることは
望んではいけないと
どこかで思っていた。
なくて当然なのだと
無意識に思っていた。
なくて当然、な長年の意識に対して
違和感を持てた今のわたしは
実はすごい改革なんだ。
ない、ことが当たり前じゃなくて
ちゃんと寂しいとか悲しいとか
感じられるようになったってこと。
それはわたしが
そう感じることを認めて良いと
わたしに許したから。
だからこの感覚を
もっとちゃんと感じるために
極力、自分が「やりたい」と思うこと
それだけを選択出来るように
今日はあえて
最低限、必要なこと以外は
なんにもしないで
過ごしてみた。
これはやりたいこと笑
わたしは
愛する人がいつもそばにいて
優しくされて温かい言葉をかけられて
ありがとう、ごめんね、って
言ってもらえて
「あなたのそばにいたい」って
大事にされることも
望んで良い。
全部望んで良いよ。
See you♡
