追悼 木村山守(岩友親方)・浜畑賢吉さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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残念ながら訃報が相次いで届きました…。

 

大相撲元幕内木村山の岩友親方が42歳の若さで亡くなられました。実は5月に入って入院し、療養を続けていたとの事です…。

苦難を乗り越えて幕内に上がった力士であった。和歌山県御坊市の出身で、簑島高校在学中に学校の先輩である当時現役の栃乃和歌(後の師匠春日野親方)に誘われ、高校卒業後は東洋大学に進学し相撲部で活動し、卒業にあたり既に現役を引退し春日野部屋を継いだ栃乃和歌の誘いを受けて入門し平成16年3月場所に木村山の四股名で(現役引退までこの四股名で通したので春日野部屋所属の力士としては珍しく「栃」の付かない力士となった)初土俵を踏んだが学生時代の成績の関係で前相撲からのスタートとなった。

初土俵後は負け越しがありながらも早く出世し入門2年半後の平成18年9月場所に東幕下筆頭まで進むも負け越し、翌11月場所は全休して大きく後退する事になったが後に現役引退時の会見から推測するとどうやらこの時期にヘルニアになったようです。その後は立ち直り勝ち越しを続けて平成20年1月場所に十両に昇進、翌3月場所に十両優勝を果たして弾みを付け、その翌々場所である平成20年7月場所に入幕を果たした。

基本的に廻しを取らない典型的な押し相撲が特徴だが、幕内の家賃は高く幕内では負け越しの状態が続き何回も十両との往復の状態となり、4回目の入幕後の平成22年7月場所に幕内8場所目にして初めて勝ち越した。その後も幕内での負け越しが多く上位には上がれず(最高位前頭7枚目)再び十両に落ち、更に稽古時の両膝の怪我もあって一時は幕下に落ちるも十両に復帰、しかし平成26年1月場所に幕下陥落必至の成績となり現役を引退した。

前述の引退会見の時に関取目前にヘルニアになった事を語ったが、ヘルニアは大相撲にとっては厄介な怪我で、それで土俵生命を終えた力士も多くいたのだからそれを乗り越えて幕内まで上がったのは大いに称賛するべき事だと思う。

現役引退後は岩友親方となり春日野部屋付きの親方として後進の指導に当たったが、もしかしたら年齢的に部屋の後継者としての可能性も有り得たと思うと若過ぎる死があまりにも残念でならない…。

 

俳優の浜畑賢吉さんも亡くなられました。前立腺癌のために7月2日に亡くなられたとの事です…。

舞台・映像で長きにわたり活躍した名優であった。東京都の出身で大学を中退して昭和38年に俳優座養成所に入所、俗に言う「花の15期生」の一員として多くの後の名優達と共に演技の修業を積み、養成所終了後の昭和41年に劇団四季に入団した。

昭和43年には青春ドラマ『進め!青春』の主役の新米教師役に抜擢されるも放映開始がメキシコオリンピック開催時期が重なる不運からわずか11回で終了という不遇を味わったが知名度は上昇し、その後も『男は度胸』の徳川吉宗(主役)役・『二人の素浪人』の芝源之進(主役)役・『必殺からくり人・血風編』での仕事人の直次郎役・『吉宗評判記 暴れん坊将軍』(主演 松平健)での初期レギュラーの軍学者の山下幸内役(たった今気付いたのだが、この方の起用は吉宗を演じた先輩という事もあったのかもしれない。)などドラマでは時代劇での活躍が多かった。一方で劇団四季所属という事からホームグラウンドでの舞台での活動も活発で、特に昭和54年初演のミュージカル『コーラスライン』で主人公の演出家ザック役は800回にわたり演じた当たり役となった。

この方といえばどうしても奥さんの上村香子さんとのおしどり夫婦のイメージが印象に強く、番組で夫婦一緒の出演は何回か見たし、青汁のCMや夫婦出演のテレショップ番組も見たのだが、品の良い夫と明るく活発な妻といった感じであった。

また役者としては再放送で見た2つの印象になる。前述の『吉宗評判記 暴れん坊将軍』で実際に目安箱に吉宗の政策批判を投書した軍学者の山下幸内を演じたのだが、歯に衣着せぬ物言いで市中にいる徳田新之助(吉宗)に進言する役柄だったが実際の幸内は目安箱投書の件以外は生没年不詳と詳細がわからない人なのでそういった意味で人物像を膨らませて演じるのは相当大変だったんじゃないかと思う。もう一つは刑事ドラマ『太陽にほえろ!』のロッキー刑事(木之元亮)の兄岩城雅也役で、エリート商社マンでどこか打算的な人間であり、見てて弟ロッキーとどこか反りが合わない感じがしたが陰ではロッキーの事を心配しているところもあって何かホッとしたのを思い出したが、わずか2回だけの登場は少し寂しいし、どうせだったらロッキーとマミー(長谷直美)夫婦に兄として何か絡んで欲しかったな(出演はいずれもロッキー結婚前)と今となっては思う次第であった。

平成6年に劇団四季を退団して独立、その後は役者業のみならず舞台の演出や大阪芸術大学の教授および舞台芸術学科長を務めるなど多彩に活動していた。

しかし赤塚真人さんに続いてまた名優がいなくなってしまいました…、本当に残念な事であります…。

 

 

 合掌