追悼 中尾彬さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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80歳を過ぎたとはいえこの方が亡くなられてしまうとは…、ショックな訃報となりました…。

 

俳優の中尾彬さんが亡くなられました。今年に入って体調がすぐれない状態が続いていたとの事です…。

 

強面のシブい名優であると共にバラエティー番組でも活躍された粋人であった。千葉県木更津市の出身で画家を志し昭和36年に武蔵野美術大学に入学するも幼い頃に舞台俳優に憧れた事もあってか同年に日活ニューフェイスに応募して合格し役者デビューしたものの画家の夢が捨てきれず翌昭和37年にフランスへ留学するも更に翌年の昭和38年に帰国し、同年に劇団民藝の研究生となり翌昭和39年に映画『月曜日のユカ』(主演 加賀まりこ)で主人公の相手役を務めて注目され、その後は二枚目として活躍するようになり、昭和50年には映画『本陣殺人事件』で主役の金田一耕助を演じ今までどころかこれから先も多分無い唯一無二のジーンズ姿の金田一の姿で話題になった。

その後年齢を重ね中年の域に入ると強面の風貌と重低音の声から悪役をやる事が多くなり、特に時代劇『暴れん坊将軍シリーズ』では将軍の座を狙う尾張大納言宗春公を憎々しげに演じ当たり役となった。

 

その一方で昭和53年に絵画を再開すると昭和56年にフランスのル・サロン展で大賞を受賞、一時期は年に必ずの海外スケッチ旅行に出るようになった。また昭和53年に<十代>金原亭馬生師匠の娘である池波志乃さんと結婚し、東京下町に居住する事もあり江戸前の粋を吸収し、更に食に通じ俳句や釣りも嗜む多彩な粋人としての顔を持ち、それらの経験を著した随筆『食魔夫婦』『一筆啓上旅の空』『カミさんの食卓』などの著書も出した。

 

バラエティー番組は元々はそんな頻繁では無いとはいえ夫婦で出る事があったが、南原清隆さんが中尾さんの真似をしたキャラで登場した事がきっかけでウッチャンナンチャンの番組に登場した事がバラエティー番組の出演が増えるようになり、強面の顔立ちながら裏表の無いチャーミングなキャラクターで大いに活躍し、特に同世代の江守徹さんとのコンビで御馴染みとなり平成12年にはコンビでの冠番組『いまどき娘とハッスルオヤジ』が放送されたくらいであった。

またバラエティー活躍以降ももちろん役者としてもバリバリに活躍し、ドラマ『GTO』(主演 反町隆史)の内山田教頭役・映画『ゴジラシリーズ』での司令官および総理大臣役・北野武監督作品映画『アウトレイジ ビヨンド』『龍三と七人の子分たち』などで大いに印象を残した。

 

私が小学生の頃は申し訳ないが役者としては見てたとしても記憶には残ってはいなかったと思う、その頃だと前述の通り志乃さんと夫婦で番組に出ていた印象だった。それからバラエティーでバリバリ活躍していたのは当然頻繁に見ていたが、実は印象に残っているのが相当前(多分21世紀に入る前)テレビ東京の番組でCCガールズと旅に出て男女別の風呂に中尾さんが入っている時に女風呂から藤森夕子さんが入り込んできて「夕子!」と叫んでドギマギしていたのには正直笑ってしまった。

また役者となるとどうしても再放送で見た前述の『暴れん坊将軍シリーズ』の尾張大納言宗春公の印象が強く、その憎々しげな雰囲気に何か嫌な感じがして「早く成敗されてくれないかな。」といつも思わせたのだが、宗春公に関しては第9シリーズで決着が付いたのだが(直接対決はしたのだが最後は命拾いして隠居する結末)実は中尾さんは第7シリーズまででその時は宗春公は西岡徳馬さんに代わっていたのは正直残念な感じがした、どうせだったら最後まで中尾さんでやって欲しかったなと思った次第である(もっとも憎々しげな中尾さんと違った西岡さんの底が見えない感じの宗春公も悪くなかったけど)。

 

あと前述の著書『食魔夫婦』『一筆啓上旅の空』『カミさんの食卓』は私も買って愛読しておりまして、特に旅行の時は『食魔夫婦』は必ず持参してまして、特に中国粥に付く油条の話・義父<十代>金原亭馬生師匠の三回忌の話・谷中の「後藤の飴」の話・マルセーユでのブイヤベースの話などは楽しく読ませていただいた。

 

平成19年3月に急性肺炎および横紋筋融解症で倒れ救急搬送され生死の境を彷徨ったが、それがきっかけとなったかその後は芸能活動と並行して夫婦そろって終活活動に入り、沖縄および木更津のアトリエ売却・トレードマークのネジネジを半分処分(それでも200本残る)・1万枚以上の写真の処分・遺言書作成・墓の建立などその活動ぶりは話題になったものでした。

 

しかしいくら死に備えて準備したとしても…やはり実際に亡くなられるのは寂しい事であります…。

 

 

 合掌