追悼 「電撃ネットワーク」南部虎弾さん・「かしまし娘」正司歌江師匠 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

郵便局員のごった煮よもやまブログ

とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

時期的に書くのが遅れてしまいましたが、東西のお笑い界から残念な訃報が相次いで届きました…。

 

過激パフォーマンス軍団「電撃ネットワーク」のリーダーの南部虎弾さんが亡くなられました。脳卒中による突然の死でした…。

過激なパフォーマンスで海外でも活躍された方でした。山形県鶴岡市の出身で、大学中退後第一生命の営業マンを経てロシア音楽舞踊団に参加した後に劇団のテアトルエコーに参加、そこにコント赤信号がいた流れから渋谷のストリップ道頓堀劇場に出演するようになり、その後渡辺正行さんの紹介で上島竜兵・寺門ジモン・肥後克広(敬称略)と出会い昭和60年頃に数十人のコントグループ「キムチ倶楽部」が結成されたが事情により4人での「ダチョウ俱楽部」となり初代リーダーとして割かし早くテレビに登場するも方向性の違いから昭和62年にグループを脱退した。

その後平成2年に「電撃ネットワーク」を結成してリーダーとなり身体を張った過激なパフォーマンスで注目されたが、その芸風は国内では収まり切らず翌平成3年にアメリカのテレビ番組に出演したのを皮切りに「トーキョー・ショック・ボーイズ」名義でオーストラリアを中心に世界各地で公演を行い海外でその名を轟かせた。

私は4人時代のダチョウ倶楽部を見ていたので私にとってのこの方の古い記憶はその頃になる(但しその頃のネタは覚えていないが…)、その後「電撃ネットワーク」を結成後は1回だけ出場した『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(第6回)をはじめ幾つかの番組で見たのだが本芸で印象に残ったのはサソリやドライアイスを口に中に入れるところは「口の中大丈夫か?」と思ったし、布団圧縮袋の中に入り掃除機で空気を抜かれたしまうところは「息ができるのか?」と心配になってしまったものでした。

しかし年月が経っていくうちに昨今のコンプラという愚かな事情によりTVで見る機会が減っていき、国内では(元からそうだけど)ライブ活動に更なる重点を置いていたが、その一方でプロレスや格闘技イベントのプロデューサーを行うなどの多彩な活動もしていた。しかし平成24年頃に糖尿病と診断されて以降は平成29年にはその糖尿病の悪化による心不全で倒れ心臓バイパス手術を受け、令和元年には同じく糖尿病を原因とした腎機能低下を起こすも「海外公演および地方の舞台に立てなくなる」事から人工透析を拒否し奥さんをドナーとした生体腎臓移植手術を受けたりして健康面で心配する声もあった。

グループは今後も続くのだが、やはりこの方あっての感もある。急にいなくなってしまったのが残念です…。

 

姉妹漫才トリオ「かしまし娘」の長女の正司歌江師匠も亡くなられました。約2年前から寝たきりで療養していたとの事です…。

昭和30年代以降の上方演芸を大いに盛り上げた華であった。昭和4年に父が座長の旅回り一座の巡業先である北海道で長女として生まれ、3歳で初舞台を踏み、昭和16年頃には妹の正司照枝(次女)師匠と漫才コンビを組んだものの昭和23年にヒロポン中毒の男と駆け落ちし(自らもヒロポン中毒だった)コンビ解消し各地を転々とし、昭和31年に当時の新生プロダクション社長(後の松竹芸能社長)の取り成しで既にコンビとなっていた正司照枝・花江(三女)両師匠のコンビに加わる形で「かしまし娘」が誕生した。

今までに無い若手三姉妹トリオである事と歌謡曲から長唄まで幅広く音曲をこなす実力に加え、♪うちら陽気なかしまし娘~の親しみやすいオープニングテーマやテレビの勃興期という時代の運の良さも手伝って一気に人気者となり、昭和33年には設立した松竹芸能の第1号所属タレントとなり道頓堀角座をホームグラウンドとし寄席の高座のみならずテレビ・映画に出演して大いに活躍し松竹芸能を代表する芸人となり、昭和41年には上方漫才大賞を受賞した。

しかし何故か漫才ブーム最中の昭和56年にトリオ漫才としての活動を休止し、その後は基本的にソロで女優活動がメインとなりドラマ・映画・舞台で活躍し、時にバラエティー番組出演や講演を行うなど幅広く活動していた。またトリオ漫才としての活動は休止していたが、その後も時に三人揃ってテレビに出演したり三人座長による舞台公演を行うなど折を見て三人で活動したりしていた。またどう言うわけか平成19年にWAHAHA本舗の公演に客演したのを機に平成21年よりWAHAHA本舗の所属となり御互いの芸風の違いもあって当時これを知った人にとっては大きな衝撃となった。

かしまし娘がトリオ漫才としての活動を休止したのは私が幼い頃で「漫才ブームの最中」としても多分見た事が無かったのでトリオ漫才としての活動はリアルタイムでは見ておらず、トリオ漫才としてはCD・DVDで見るしかなかったのだがこれがおもしろい、だから「もっと早く生まれていれば…。」リアルタイムで大笑いで来たのかもしれなかったと悔やんでます。

とは言うものの三人揃った姿はリアルタイムで数度見たし、(記憶が間違ってなかったら)その中で三人と歌江師匠の御主人の4人で雀卓囲んで麻雀をしていた姿をTVで見た事があった。またソロでもドラマでは何回か見た記憶があった(何のドラマかは御恥ずかしながら覚えて無いが…)。

その後平成30年に松竹の後輩よゐこのトークライブに三人揃って出演したのが最後の仕事となった。

94歳は間違い無しの大往生ではあったが…「これでおしまいかしまし娘」…寂しいね…。

 

 

 合掌