追悼 八代亜紀さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

まさか今この方の追悼記事を書く事になるとは…、いくらなんでもそれはまだ早いはずなのに…。

 

八代亜紀さんが昨年暮れに亡くなられました。昨年8月に膠原病の一種である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎のために休業して以降は療養とリハビリに励んでいたが、年末に容体が急変したとの事です…。

 

1970年代以降大いに活躍された「演歌の女王」であった。芸名の通りの熊本県八代市(当時は八代郡金剛村)の出身で、浪曲を歌う父の影響で歌好きとなり、中学卒業後バスガイドとなるも数ヶ月で辞め地元のキャバレーの専属歌手となるもすぐに上京し音楽学院に通った後に銀座のクラブ歌手となり当時同じクラブで歌っていた後に「五八戦争」のライバルとなる五木ひろし(当時 三谷謙)さんの紹介で芸能事務所に入り昭和46年にレコードデビュー、その後翌昭和47年にオーディション番組『全日本歌謡選手権』10週連続勝ち抜きのグランドチャンピオンになった事が弾みとなったか更に翌年の昭和48年に「なみだ恋」が大ヒットし同年の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし有名歌手の仲間入りを果たした。

 

その後も「愛ひとすじ」「別れの夜明け」(石原裕次郎さんとのデュエット・実は裕次郎さんとのデュエット曲数は八代さんが一番多い)「おんなの夢」「ともしび」など独特なハスキーボイスを武器にヒット曲を連発。昭和51年には「もう一度逢いたい」・昭和52年には「愛の終着駅」で2年連続日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞、その昭和52年には「おんな港町」で『NHK紅白歌合戦』で初のトリを務めた(この年の対戦相手は前述の五木ひろしさんで、この年以降6年連続の対決となり正に「五八戦争」となった。)。

そして昭和54年には「舟唄」がヒット、生涯の代名詞的な作品となった(この年の『紅白歌合戦』でこの曲をトリで歌った)。そして翌昭和55年の「雨の慕情」は振りを子供たちが真似するほどの大ヒットとなり、日本歌謡大賞・日本レコード大賞など多くの音楽賞を受賞、同年の『紅白歌合戦』で大トリで熱唱し大いに盛り上がり歌手としての絶頂を極めた。

 

私にとっては幼い頃の「舟唄」「雨の慕情」からでした。特に「雨の慕情」はリアルタイムでは♪雨雨降れ降れもっと降れ~は腐るほどよく耳にしていました。そしてその後は私にとってこの方は「常にいる存在」であり、『紅白歌合戦』をはじめ多くの歌番組で長年よく見ていたものでした。

また平成以降はバラエティー番組でもよく見てましたからおっとりとした話し方と優しい人柄には好感が持てました。また優しい人柄というか懐の深さを表しているのが自身の顔がお笑いの人たちによって「厚化粧ネタ」にされてしまい(大元が親しい<六代>桂文枝師匠という説あり)、嘉門タツオさんが替え歌のネタ♪誰も知らない素顔の八代亜紀~(「リバーサイドホテル」(井上陽水)の替え歌)にはOKして商品化された。しかしその後CMでそれに引っ掛けて自らの素顔を公開したのは大きな話題となり、それを見て「そこまでやるか…。」と唖然としたものでした。

 

私自身のこの方の歌の好みに関しては、前述の通り「雨の慕情」は幼い頃腐るほど耳にしていたから大いに馴染んでいたし、「舟唄」も大いに好きな歌です。でも実は一番好きな歌は「もう一度逢いたい」で、先日「ラブリー寛寛」(林寛子さんがオーナーのカラオケサロン)に行った時に追悼でこの歌を歌わせていただきました。

 

1980年代以降も多くの曲を出して長きにわたる活躍をしたと共に、演歌に限らず10年くらい前より自らの原点の一つであるジャズのアルバムを発売してステージでジャズを歌う事が多くなった。

また前述のように平成以降はおっとりとした話し方と優しい人柄からバラエティー番組の出演が多くなり、遂にはバラエティー番組の司会を務めるようになった。そしてその経験を生かして平成31年よりBSの音楽番組『八代亜紀いい歌いい話』の司会を倒れる前まで務めた。

また元々は画家志望で40歳を過ぎたあたりからプロの画家に師事して油絵を描き始め、フランスの「ル・サロン展」に平成10年より5年連続入選し日本の芸能人で初の正会員(永久会員)となり、その後は国内各地で絵画展が開かれるなど画家としても大いに活躍した。

 

しかし病の事は聞いていたとはいえ内心復活すると信じていたのでまさか亡くなられたとは…。しかも同じ時代の演歌の方は北島三郎さんをはじめまだまだ健在だったのに一番最初が八代さんだとは…、しかも八代さんの死を引き金にこの後冠二郎さん・小金沢昇司さんと相次いで演歌の方が亡くなられてしまったのもショックに輪をかけた格好となった…。

 

しかし幼い頃から見た演歌の方がいなくなってしまいました…、いくら時代の流れとはいえ逝って欲しくなかった…。

 

 

 合掌