追悼 畑正憲さん・<四代>市川左團次さん | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

郵便局員のごった煮よもやまブログ

とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

残念な訃報が相次いで届きました…。

 

作家で「ムツゴロウ動物王国」の主でもある畑正憲さんが亡くなられました。自宅で心筋梗塞で倒れ、搬送先の病院で亡くなられたとの事です…。

正に「動物と触れ合う男」として多くの国民に親しまれた方であった。「動物王国」もあって北海道のイメージが強いが実は福岡市生まれの満州を経て大分県日田育ちで、子供の頃から動物に親しんだ事もあってか東京大学では動物学科を選択し、その後は大学院を経て学習研究社(現在の学研)で学習映画の作成に携わる。昭和42年に随筆『われら動物みな兄弟』で作家デビューし翌昭和43年に日本エッセイストクラブ賞を受賞、同年学研を退社して文筆業に専念し小説も書いていたがムツゴロウシリーズなど主に動物を描いたノンフィクション・ルポタージュものを多く書いていた。

昭和46年に北海道に移住し翌昭和47年に「ムツゴロウ動物王国」を開園、文筆業と並行して多くの動物を飼育する一方で自然保護活動にも力を入れていた。そして昭和55年にテレビの特番『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の放送が開始され、動物王国を軸に世界各地の動物自然を紹介し、動物に接する人懐っこい姿は見ている者を魅了し平成13年まで21年間続いた人気シリーズとなった。

その後平成16年に都会の人に動物を触れ合ってもらおうと「動物王国」の多くの動物を引き連れ東京サマーランド内に「東京ムツゴロウ動物王国」を開園するも客足が伸びずわずか3年で閉園して動物たちを北海道に戻し、その時に自ら背負った借金を執筆および講演活動で何とか完済した。

この方といえば何と言っても前述の『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』で知ったのだが(と言ってもそんなに多くは見ていない)、その人懐っこく動物に接する姿は懐かしいし、他の番組やCMでもその変わらぬ人懐っこさを見せていた印象があった。

平成29年に心筋梗塞を発症して入退院を繰り返したり自宅療養を続けていた一方でユーチューブチャンネルを立ち上げて発信するなど最後まで旺盛に活動していた。

子供の頃から見てきた雅の唯一無二の存在の方だけに本当に残念な事であります…。

 

歌舞伎俳優の<四代>市川左團次さんも亡くなられました。今月も歌舞伎の舞台に出演予定だったが、体調不良で初日から休演した中での訃報でした…。

実力派の歌舞伎役者である一方特異なキャラクターで親しまれた方でした。<三代>市川左團次の息子となってるが、自らの著書では実子では無いと述べている。昭和22年に6歳で<五代>市川男寅の名で初舞台を踏み昭和37年に<五代>市川男女蔵を襲名、若い頃は尾上菊五郎劇団で芸を磨き上げ、昭和54年に父の名である市川左團次の四代目を襲名した。

歌舞伎役者としては立役よりも老け役・道化役・敵役を主としており、特に敵役においては『助六』の意休役・『暫』の清原武衡役など自らの高身長を生かしたスケールの大きな憎々し気な演技で存在感を発揮すると共に役によっては憎々しげな中にユーモラスな味も見せるところもあり、歌舞伎の舞台での貴重な名脇役として重宝された。

歌舞伎の舞台以外にも大河ドラマ『義経』『風林火山』などの時代劇や現代劇のドラマに出演したりバラエティー番組にも出演し、特にバラエティー番組では歌舞伎役者らしからぬ特異なキャラクターを生かした巧みな話術からのエピソードトークで大いに活躍し、その話術は歌舞伎の舞台でも他の歌舞伎役者の襲名披露の口上で大いに発揮された。

私は歌舞伎に明るくない人間なので残念ながら生の歌舞伎の舞台やテレビの歌舞伎中継は一度も見ていない、映像作品の方も2時間ドラマの『十津川警部シリーズ』(主演 渡瀬恒彦)の最終作「サンライズ出雲の女」でお菓子メーカーの社長役を見たくらいである。そう、私にとってのこの方と言えば専らバラエティー番組でのイメージだった。初めて見た時も名前からして歌舞伎役者だとすぐにわかったのだが、その重厚な風貌に似合わぬユーモラスな感じが印象に残ったが特に何年か前の『アウトデラックス』での自らの特異な趣味の話にはその凄さにかえって笑ってしまった事もあった。

歌舞伎界にとって大いなる損失である事は間違いないが、私にとってもあれだけの特異なキャラクターを持った方がいなくなったのは本当に残念な事であります…。

 

 

 合掌