旅行余談3・なんばグランド花月および上方演芸資料館見物記(パート1) | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

ちょっと間に他の記事が入りましたが、先月の大阪旅行の余談をもう一つ。なんばグランド花月(NGK)と上方演芸資料館(ワッハ上方)での見た話を書かせていただきます。

 

◎3月8日(水) 上方演芸資料館(パート1)

朝ホテルで関東では放送されてない情報番組『よ~いドン!』を見ていたが11時過ぎにホテルを出てすぐにワッハ上方へ向かい演芸ライブラリーで懐かしの演芸番組を見る事にした。

●「お笑いエース登場(第2回)」<読売テレビ>(昭和55年)

この番組は昭和55年漫才ブームが起きた頃に約半年間放送された30分の演芸番組で、毎回2組の芸人が漫才を中心に本芸を披露する(中には例外もあり)番組である。

・東京二・京太

東京漫才の実力派京二・京太師匠の映像はマジで珍しい、昭和60年に解散して御互い夫婦漫才のコンビを組んだ時に両コンビとも寄席で見たのだが(ちなみに京二師匠は現在弟子とコンビを組んでいる)、この映像を見て思うのは「コンビを続けて欲しかったな…。」と思うのが率直な感想でした。

・横山やすし・西川きよし

もうやすきよ漫才は説明不要なぐらいに本当に面白い。

●「お笑いエース登場(第3回)」<読売テレビ>(昭和55年)

・ツービート

しかし漫才の映像・音源はDVDおよびCD化されてる中でツービートだけは何故かその中には無いのだ(レコード時代にはレコード化されたのはあったそうですが…)。殿の意向もあるのかもしれないし現在の社会情勢からしてネタがヤバいのかもしれないが、ぜひツービートの漫才はDVD・CD化して欲しい!そりゃあ聴いてて傷つく人がいるかもしれないが、お笑いは万人受けするものは滅多に無いものだし当人が傷ついても他の人は聴いてて面白いと思っているネタもあるというのは私が過去にブログを書いている事柄である(当ブログ平成29年10月23日「(世の全ての人たちへ)万人受けする笑いはめったに無い事をわかって欲しい…」より)、とにかくコンプライアンスなんかクソくらえで早くツービートの漫才をDVD・CD化して欲しい!

・レツゴー三匹

ちなみにこの時はあの出だしの「三波春夫でございます!」は無かった。しかし何が悲しいって三匹とも(失礼)もうこの世にいないんだよね…。

●「お笑いエース登場(第11回)」<読売テレビ>(昭和55年)

・B&B

しかし洋七師匠の喋りは本当に速射砲の如く速いな~。私は基本的に活舌悪いからあそこまでは速く喋れないな…。

・間寛平・木村進

前述の(中には例外もあり)は正にこれ!本来は吉本新喜劇で活動していた二人だが、新喜劇でコンビプレイをしているとはいえ正式に番組で漫才をする事自体超貴重品映像である。喋りに加えて新喜劇さながらのドタバタも加わって結構面白かった。ちなみに冒頭「久し振りだな~」と言ったのはこれより少し前の寛平師匠が野球賭博による謹慎からの復帰を受けての発言である。

 

◎3月9日(木) 上方演芸資料館(パート2)

 10時くらいにホテルをチェックアウトして荷物をホテルに預けてすぐさま前日と同じくワッハ上方に向かい演芸ライブラリーで再び懐かしの演芸番組を見る事にした。

●「吉本新喜劇 お笑い平手造酒」<朝日放送>(昭和56年正月)

当時の吉本新喜劇のメンバーに横山やすし・西川きよし、チャンバラトリオ、コメディNo.1、オール阪神・巨人、島田紳助・松本竜介を加えた客無しのスタジオ収録のコメディ。御馴染みの「天保水滸伝」を基に笹川と飯岡の争いの中で岡八郎扮する平手造酒を中心に活躍する話である(大抵この時期の新喜劇全員登場のコメディでは必ず八郎師匠が主役なんだよね)。

ちなみに主な他の配役は

・笹川の繁蔵→船場太郎

・飯岡の助五郎→南方英二(チャンバラトリオ)

・笹川一家の一員→コメディNo.1・間寛平・木村進・室谷信雄・チャーリー浜

・繫蔵の妹→山田スミ子

・寺の尼さん(但し妙心では無い)→桑原和男

・千葉周作→原哲男

・目明し→横山やすし・西川きよし

・駕籠かき→オール阪神・巨人

・ヤクザに憧れるチンピラ→島田紳助・松本竜介

・茶店の爺さん→井上竜夫

・茶店の婆さん→平参平

ちなみにもう一人、花紀京師匠は何の役かと言うと笹川の役に立たない用心棒の役で平手造酒はじめ主に笹川の連中に茶々を入れる役どころであった。

 

これも本当に面白かったが、その中で貴重な場面を一つ。横山やすし師匠扮する目明しが南方師匠扮する助五郎に茶々を入れると何とやっさんが顔面にハリセンチョップを喰らってしまったのだ。やっさんがハリセンを喰らうのは象が逆立ちするよりも珍しい(およびあり得ない)事である、いくらカシラ(南方師匠)の方が先輩とはいえ後でケンカにならなかったのかな?とふと考えてしまった。

 

この見物記はこの先続きがまだあるのだが、一つの記事では書ききれないので二つの記事に分けて続きは後日に書かせていただきます。