今年を偲ぶ・1 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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とにかく私自身の趣味・思うことなど書き込んでいきます。

今年ももうすぐ終わります、毎年の事ではありますが今年もいろんな人が亡くなられました。そこで今年亡くなられた方々を2回に分けて偲ぶ事にします(なお昨年以前に亡くなられた方で昨年の「今年を偲ぶ」公開後に死去が判明された方も含む)。(あいうえお順)

 

○朝嵐大三郎<大相撲元幕内>(4月2日・79歳)

 現役時代は高砂部屋伝統の四股名を名乗り期待されたが幕内1場所で終わるも、現役引退後は高田川→振分親方として部屋での指導や相撲協会の職に力を注ぎ平成20年に定年を全うした。

○<五代>朝潮太郎<大相撲元大関>(11月2日・67歳)

 強烈なぶちかましからの突き押しを武器に大関に上り詰め、一方で明るいキャラクターで大いに愛され1980年代の大相撲で大いに活躍した。引退後は高砂部屋を継承し、横綱朝青龍などを育てた。

○鮎川誠<「シーナ&ロケッツ」メンバー>(1月29日・74歳)

 妻のシーナらと組んだロックバンド「シーナ&ロケッツ」で博多発の「めんたいロック」の草分けの一人として活躍。平成27年の妻亡き後もグループを継続して活動していた。

○飯田亮<セコム顧問、元社長>(1月7日・89歳)

 昭和37年に日本初の民間警備保障会社である日本警備保障(昭和58年にセコムと改名)を設立。昭和39年の東京オリンピック選手村の警護で名を上げ、以降も日本の民間警備業界をリードした。

○飯塚昭三<声優>(2月15日・89歳)

 声優としてアニメから洋画の吹き替えまで長年にわたり幅広く活動。特に特撮ドラマの悪の首領役の声を多くこなしており、『宇宙刑事シャイダー』のフーマの大帝王クビライの声もこの方であった。

○池田敬子<元体操選手>(5月13日・89歳)

 昭和29年の世界選手権ローマ大会の平均台で日本女子初の金メダルを獲得し「ローマの恋人」と呼ばれ、その後も日本女子体操界のエースとして昭和39年の東京オリンピックの団体銅メダルに貢献した。

○石井好博<東葉高校野球部監督>(11月26日・74歳)

 昭和42年の夏の甲子園では習志野高校のエースとして千葉県勢初の全国制覇を成し遂げ、その後母校の監督となり昭和50年の夏の甲子園では監督として全国制覇を果たし、同じ学校で選手・監督両方で全国制覇を成し遂げた稀有な存在であった。

○伊集院静<作家・作詞家>(11月24日・73歳)

 ディレクターを経て作家となり平成4年に『受け月』で直木賞を受賞、小説『機関車先生』や随筆『大人の流儀シリーズ』などでも知られた。一方で伊達歩名義で「ギンギラギンにさりげなく」などの作詞活動も行っていた。

○磯崎新<建築家>(昨年12月28日・91歳)

 丹下健三門下の建築家で「つくばセンタービル」「チーム・ディズニー・ビル」など国内外で多くの建築を手掛け、ポストモダン建築をリードし国際的に活躍した。

○磯村尚徳<ジャーナリスト>(12月6日・94歳)

 NHK時代は何ヶ所かの外国特派員を経て昭和49年に『ニュースセンター9時』の初代キャスターとなり、自らの言葉で語るスタイルで従来のニュース番組のスタイルを大きく変えて後のニュース番組に大きな影響を与えた。

○<二代>市川猿翁<歌舞伎俳優>(9月13日・83歳)

 <三代>市川猿之助時代に宙乗りやケレンの復活などエンターテイメント性あふれる歌舞伎で人気を博し、更に『ヤマトタケル』などの「スーパー歌舞伎」は新たなファン層を開拓した。

○<四代>市川左團次<歌舞伎俳優>(4月15日・82歳)

 歌舞伎役者としてはスケールの大きな憎々し気な敵役やユーモアのある道化役などで名脇役として大いに活躍。その一方で特異なキャラクターでも親しまれバラエティー番組に出演していた。

○一城みゆ希<声優>(10月24日・76歳)

 昭和40年代中期はヤング101のオリジナルメンバーとして活躍。その後は声優として長きにわたり活動し、アニメ『名探偵コナン』のジョディ先生役・アニメ『ザ・シンプソンズ』のマージ・シンプソン役で知られていた。

○伊東絹子<元モデル>(2月14日・90歳)

 1950年代にファッションモデルの先駆けの一人として「八頭身」のプロポーションで活躍。昭和28年にミスユニバース世界大会3位に入賞し、その活躍は「八頭身美人」という流行語が出来るほどの社会現象となった。

○伊藤雅俊<セブン&アイホールディングス名誉会長>(3月10日・98歳)

 家業の洋品店を発展させる形でイトーヨーカ堂を設立し日本有数のスーパーマーケット会社に発展させ、その後セブンイレブンを日本に出店させ日本のコンビニ文化の礎を築き日本の流通文化を発展させた。

○犬塚弘<「ハナ肇とクレージーキャッツ」メンバー>(10月26日・94歳)

 クレージーキャッツのベース奏者として演奏のみならず笑いと演技で一時代を築き上げ、個人活動中心となると主に役者として長きにわたり活躍。これでクレージーキャッツのメンバーは全員あの世へ行ってしまった…。

○入来智<元プロ野球選手>(2月10日・55歳)

 兄弟投手入来兄弟の兄の方。先発・中継ぎ・抑えと何でもこなし内角への強気の攻めを持ち味として活躍、ヤクルトスワローズ時代の平成13年には10勝を挙げチームの日本一に貢献した。

○岩國哲人<元衆議院議員・元出雲市長>(10月6日・87歳)

 出雲市長時代は行政改革着手や出雲ドーム建設や出雲駅伝招致でアイデアマン市長として活躍。その後平成8年に衆議院議員に転身し、民主党結党に参画し党の副代表を務めた。

○ティム・ウェイクフィールド<元プロ野球<アメリカ>選手>(10月1日・57歳)

 平成時代のボストンレッドソックスを代表する投手としてナックルボールを武器に通算200勝を挙げ、チームの2度のワールドシリーズ制覇にも大いに貢献した。

○上野山功一<俳優>(1月22日・89歳)

 日活・大映の映画を経てテレビの刑事ドラマや時代劇で太いもみ上げがトレードマークの名悪役として長きにわたり活躍。晩年は福島県に住み、県内で腹話術を使ったトークショーを行っていた。

○植村義信<元プロ野球選手>(5月30日・88歳)

 現役時代は毎日(大毎)オリオンズの投手として1950年代に活躍。現役引退後は昭和59年の日本ハム監督以外は長年にわたり各球団で投手コーチとして多くの投手を育て上げた。

○ラクエル・ウェルチ<女優>(2月15日・82歳)

 アメリカの女優として映画『ミクロの決死圏』『三銃士』などで知られ、映画『恐竜100万年』ではビキニコスチュームを纏った原始人役で魅了し「20世紀最高のグラマー」と称された。

○絵沢萌子<女優>(昨年12月26日・87歳)

 初期の日活ロマンポルノ映画で活躍し注目され、その後も映画『月はどっちに出ている』など映画・ドラマで個性派の名脇役として長きにわたり活躍した。

○扇千景<元女優・元参議院議員・元参議院議長>(3月9日・89歳)

 宝塚歌劇団を経て女優として活動し、昭和52年に参議院議員となり政治家に転身。数々の要職を経て平成13年に初代国土交通大臣となり、平成16年からは女性初の参議院議長を務めた。

○大江健三郎<作家>(3月3日・88歳)

 昭和33年に『飼育』で芥川賞を受賞し、以降は戦後民主主義世代の旗手として小説のみならず戦争関連のルポタージュで平和を訴えるなど長年にわたり活躍。平成6年にはノーベル文学賞を受賞した。

○大瀬ゆめじ<元漫才師・漫談家>(11月26日・75歳)

 漫才コンビ「大瀬ゆめじ・うたじ」のボケ担当として寄席の高座を中心に活動、昭和63年に漫才協団(現在の漫才協会)の真打に昇進するも平成25年に解散。その後はピンの漫談家として活動していた。

○大橋純子<歌手>(11月9日・73歳)

 ハードロックを基調にした圧倒的かつ情感をこめた歌唱力で「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」などをヒットさせ、昭和50年代を中心に大いに活躍した。

○おかゆうた<漫才師>(8月22日・61歳)

 岡八郎門下で漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」として高座を中心に長きにわたり活躍。しかし恰幅の良かった体格が年月が経つうちに萎むように痩せていったので心配の声が多かったのだが…。

○岡村浩二<元プロ野球選手>(1月29日・82歳)

 1960年代の阪急ブレーブスの正捕手として4度のリーグ優勝に貢献。昭和44年の日本シリーズで判定を巡って審判を殴り、日本シリーズ史上初の退場処分という不名誉な記録も作っていた。

○ライアン・オニール<俳優>(12月8日・82歳)

 スタントマンを経て二枚目俳優となり映画『ある愛の詩』の主演で世界的な人気となり、その後も娘と共演した『ペーパー・ムーン』や『バリー・リンドン』などの映画で1970年代を中心に活躍した。

○小野恵美子<舞踊家>(8月4日・79歳)

 常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾートハワイアンズ)開業時より初代フラガールの一員およびリーダーとして10年にわたり活動。その開業前後の時期を描いた映画『フラガール』の蒼井優扮するダンサーのモデルであった。

○春日三球<漫才師>(5月17日・89歳)

 元々「クリトモ一休・三休」として活動していたが相方の事故死により妻の春日照代師匠との夫婦漫才となり、昭和40年代後半より「地下鉄漫才」で一世を風靡し漫才ブームに入っても活躍していた。

○片桐夕子<女優>(昨年10月16日・70歳)

 映画『夕子シリーズ』の主演を務めるなどなど1970年代の日活ロマンポルノのスターとして活躍。その後は一般映像作品に移行し、時代劇・刑事ドラマ・2時間ドラマを中心に活動していた。

○門田博光<元プロ野球選手>(1月24日・74歳)

 1970~80年代の南海ホークスの中心選手としてホームラン狙いのフルスイングで歴代3位の567本塁打を放った。特に昭和63年には40歳で本塁打王・打点王を獲得し「中年の星」と尊敬された。

○金井清一<プロゴルファー>(昨年11月30日・82歳)

 独学でプロゴルファーとなり昭和47年の日本プロでの優勝をはじめビッグタイトルに強く「公式戦男」の異名をとり、50歳でシニアに移行後もシニア歴代最多となる5回の賞金王を獲得した。

○上岡龍太郎<元タレント>(5月19日・81歳)

 漫才トリオ「漫画トリオ」で一世を風靡し、トリオ解散後は知性溢れる忖度無しの話芸で当初は関西中心に・平成に入ると東京に進出してテレビ番組の司会などで大いに活躍。21世紀に入る前の引退は大いに惜しまれた。

○ペピーノ・ガリアルディ<歌手>(8月9日・83歳)

 イタリアの歌手として1960年代以降多くのヒット曲を出して活躍したが、特に昭和45年の「ガラスの部屋」は後年芸人のヒロシのテーマソングとして若い人にも知られるようになった。

○川村晃司<ジャーナリスト>(3月24日・72歳)

 テレビ朝日時代は報道畑で主に海外の事件・戦争の取材活動を行っていた。その流れからその後はテレビ朝日のニュース・情報番組のコメンテーターを務めていた。

○KAN<歌手>(11月12日・61歳)

 昭和62年歌手デビュー、平成2年発売の「愛は勝つ」が大ヒットし平成を代表する応援ソングとなった。難病の癌に侵され御世辞にも長生きとは言えない年齢で亡くなられたのが残念でならない…。

○北別府学<元プロ野球選手>(6月16日・65歳)

 昭和50年代以降の広島東洋カープのエースとして「精密機械」と言われた投球術で5度のリーグ優勝に貢献、2度の最多勝を果たし通算213勝を挙げチームの黄金時代の投の顔的存在として大いに活躍した。

○ヘンリー・キッシンジャー<元アメリカ国務長官>(11月29日・100歳)

 ニクソンおよびフォード政権下で現実主義における外交政策でベトナム戦争の終結交渉や中華人民共和国との国交正常化などの積極的な外交で大いに活躍、昭和48年にはノーベル平和賞を受賞した。

○木戸修<元プロレスラー>(12月11日・73歳)

 カール・ゴッチ仕込みの関節技で地味ながらも高度な技術のレスリングで黙々と試合をこなす「いぶし銀」のスタイルで魅了した。プロゴルファーの木戸愛の父でもあり、引退後は娘のツアーに帯同して愛情を注いでいった。

○木滑良久<マガジンハウス最高顧問>(7月13日・93歳)

 雑誌「平凡パンチ」「an・an」などの編集長を経て昭和51年に「POPEYE」・昭和55年に「BRUTUS」を創刊し若者文化をリードし、その後昭和63年より社長・平成8年より会長を務めていた。

○<二十七代>木村庄之助<元大相撲立行司>(6月22日・97歳)

 キビキビとした捌きと品格ある所作で昭和49年に史上最年少で立行司(式守伊之助)に昇格。昭和52年に同じく最年少で庄之助を襲名し、以降平成2年まで13年の長きにわたり結びの一番を捌き続けた。

○九里一平<元タツノコプロ社長・漫画家>(7月1日・83歳)

 漫画家としての活動を経て昭和37年に兄弟でタツノコプロを設立、『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカンシリーズ』など多くのアニメを手掛け黄金時代を築き上げ、昭和62~平成17年まで同社の社長を務めていた。

○ディック・グロート<元プロ野球<アメリカ>選手・元プロバスケットボール選手>(4月27日・92歳)

 プロ野球選手としては巧打の名選手として昭和35年に首位打者となるなど大いに活躍。一方既に大リーグで活躍していた昭和27年に野球のオフシーズンにNBAで1シーズンだけプレーした珍しい選手でもあった。

○桑原和男<喜劇俳優>(8月10日・87歳)

 昭和36年に設立3年目の吉本新喜劇に入団し、以降長きにわたり活躍し正に新喜劇の歴史そのものの方でした。特に昭和50年代以降のおばあちゃん役は名物キャラクターとなり大いに親しまれた。

○マリー・クワント<ファッションデザイナー>(4月13日・93歳)

 イギリスのファッションデザイナーとして革新的なファッションで若い女性の人気を集め、特に自ら開発したミニスカートは1960年代に世界的なブームを巻き起こし日本にも大いに影響を与えた。

○<六代>古今亭志ん橋<落語家>(10月8日・79歳)

 <三代>古今亭志ん朝門下の落語家で昭和57年に真打に昇進。スキンヘッドがトレードマークで寄席に欠かせない存在として活躍、8月の浅草演芸ホールの住吉踊りのレギュラーメンバーでもあった。

○小桜京子<女優>(6月15日・88歳)

 柳家金語楼師匠の姪として金語楼劇団の子役を皮切りにドラマ『おトラさん』映画『駅前シリーズ』などで喜劇女優として活躍。また一時期<初代>引田天功師匠の妻でもあった。

○寿一実<タレント>(5月5日・66歳)

 昭和50~60年代は中川一美の名前で吉本新喜劇で若いのに薄い頭をイジられるキャラで活躍。平成に入ると故郷の九州に戻り、九州のローカルタレントとして活躍した。

○小西良太郎<音楽プロデューサー・元スポーツニッポン新聞社常務取締役>(5月13日・86歳)

 スポーツニッポンでは音楽担当記者として活動。一方で新聞社在籍中より音楽プロデューサーとして活動し、「舟唄」(八代亜紀)・「夜桜お七」(坂本冬美)などの名曲を手掛けていた。

○財津一郎<俳優>(10月14日・89歳)

 吉本新喜劇時代は個性的なコミカルな演技で舞台のみならずコメディ番組『てなもんや三度笠』で活躍、その後はシリアスな演技もこなし長きにわたって名優として活躍。一方でCMではコミカルな味を生かして幾つもの話題作に出演した。

○斉藤昌子<声楽家>(6月6日・77歳)

 二期会のオペラ公演や「キャッツ」「オペラ座の怪人」などのミュージカルで活躍。その一方で昭和45~47年には子供番組『おかあさんといっしょ』のうたのおねえさんを務めていた。

○坂本龍一<音楽家>(3月28日・71歳)

 YMO時代に放ったテクノポップ・『戦場のメリークリスマス』『ラストエンペラー』などで手掛けた映画音楽、これらの音楽で世界にその名を轟かせた正に「世界のサカモト」であった。

○櫻井敦司<「BUCKーTICK」メンバー>(10月19日・57歳)

 ロックバンド「BUCKーTICK」のボーカルとしてビジュアル系バンドの先駆け的存在としてブレイク以降長きにわたり活躍。コンサート中に体調不良となり搬送されてそのまま亡くなられたのが無念でならない…。

○迫田穆成<竹原高校野球部監督>(12月1日・84歳)

 昭和32年の夏の甲子園では広島商業高校の主将として全国制覇を成し遂げ、その後は母校の監督となり昭和48年の夏の甲子園で監督としても全国制覇を成し遂げ、前述の石井好博さんと同じく稀有な存在となった。

○笹原正三<元レスリング選手>(3月5日・93歳)

 股裂きを得意とするフリースタイルの選手で活躍し、昭和31年のメルボルンオリンピックでフェザー級の金メダルを獲得。一方で実はその後バウンドテニスを考案した事でも知られていた。

○貴家堂子<声優>(2月5日・87歳)

 アニメ『サザエさん』のタラちゃん役を第1回から50年以上にわたり務め、その声は長きにわたり国民に親しまれた。その他にも『ハクション大魔王』のアクビ・『天才バカボン』のハジメちゃんなどでも知られていた。

○島崎俊郎<タレント>(12月6日・68歳)

 お笑いトリオ「ヒップアップ」のメンバーとして漫才ブーム時に活躍。また『オレたちひょうきん族』の中から生まれたキャラクター「アダモちゃん」は番組終了後も長きにわたり愛された。

○松旭斎すみえ<奇術師>(8月12日・85歳)

 広い芸域と軽妙な話術で日本を代表する女性奇術師として長きにわたり活躍。今では奇術の定番BGMとなったポールモーリア作曲の『オリーブの首飾り』を最初に使ったのもこの師匠であった。

○笑福亭笑瓶<落語家>(2月22日・66歳)

 笑福亭鶴瓶師匠の一番弟子で、偉ぶらない明るいキャラクターで長きにわたりバラエティー番組で活躍。一方で21世紀に入ると師匠に倣って自らも落語の活動に力を入れるようになった。

○白鳥みづえ<歌手・女優>(令和3年9月21日・77歳)

 昭和20年代は三益愛子さん主演の映画『母ものシリーズ』などで名子役として活躍、昭和30年には田端義夫先生とのデュエット曲「親子舟唄」が大ヒット。その後も歌手・女優の活動を続けていた。

○アストラッド・ジルベルト<歌手>(6月5日・83歳)

 当時の夫ジョアン・ジルベルト参加のアルバムで歌手として初めて吹き込んだ「イパネマの娘」が世界的な大ヒットとなり、これによりボサノバを世界に知らしめ「ボサノバの女王」と呼ばれた。

○菅原初代<フードファイター>(3月9日・59歳)

 平成20年に『元祖!大食い王決定戦』でギャル曽根を破り優勝し3連覇を含む5回の優勝を果たし、豪快な喰いっぷりから「魔女菅原」と呼ばれた。近年は地元岩手県で自家製天然酵母のパン屋を営んでいた。

○杉下茂<元プロ野球選手>(6月12日・97歳)

 日本プロ野球のフォークボールの元祖的存在の投手として1950年代の中日ドラゴンズのエースとして活躍し、昭和29年のチーム初の日本一に大いに貢献。引退後は監督・コーチとして多くの投手を育てた。

○鈴鹿景子<女優>(7月18日・67歳)

 昭和51年にNHKの朝ドラ『火の国に』の主役でデビュー、ドラマでは悲しい影を感じる女の役どころを演じる事が多かった。21世紀に入ると舞台中心となり、特に地元宮城の方言で民話を語る一人芝居をライフワークとしていた。

○鈴木康二朗<元プロ野球選手>(令和元年11月19日・70歳)

 ヤクルトスワローズの投手としてシンカーを武器に昭和53年のチームの日本一に貢献、一方で前年の昭和52年に王貞治から世界記録の756号本塁打を打たれた事でも話題になった。

○鈴木孝子<「ピンクサファイア」メンバー>(12月12日・56歳)

 平成2年にガールズバンド「ピンクサファイア」にギタリストとして加入、翌平成3年にドラマの主題歌である「P.S.I LOVE YOU」が大ヒットした。平成26年の再結成以降は一方で乳癌との闘いの日々でもあった…。

○鈴木瑞穂<俳優>(11月19日・96歳)

 昭和27年に劇団民藝に入団、重厚な演技で様々な役を演じる名優として長きにわたり活躍。その一方で響く低音の声で洋画の吹き替えもこなし、映画『スター・ウォーズ』のダース・ベーダーの吹き替えで知られていた。

○住友平<元プロ野球選手>(10月11日・80歳)

 現役時代は阪急ブレーブスの二塁手として昭和42年に日本プロ野球唯一の1人でのトリプルプレーを達成。引退後はそのままチームのコーチとして上田利治監督の参謀的存在としてチームの黄金時代の発展に貢献した。

○ティナ・ターナー<歌手>(5月24日・83歳)

 1960~70年代前半は当時の夫アイクターナーとのデュオで多くのヒット曲を放ち、離婚後はソロで活動し「愛の魔力」などのヒット曲で長きにわたり活躍し「ロックンロールの女王」と呼ばれた。

○高井美紀<アナウンサー>(1月25日・55歳)

 毎日放送のアナウンサーとして関西を中心に様々なジャンルの番組で長きにわたり活躍。全国ネットでは『皇室アルバム』のナレーションや『知っとこ!』のアシスタントで知られていた。

○高橋幸宏<「YMO」メンバー>(1月11日・70歳)

 テクノバンドYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のドラマーとして1980年代中期に世界的なテクノブームを巻き起こした。その後も音楽活動のみならずデザイナーや役者もこなすなど多岐にわたり活躍した。

○高見のっぽ<俳優・作家>(昨年9月10日・88歳)

 教育番組『なにしてあそぼう』『できるかな』のノッポさん役として喋らないキャラクターで長きにわたり活躍。『できるかな』終了後は絵本・児童文学作家として活動していた。

○竹山洋<脚本家>(4月12日・76歳)

 1980年代以降を代表する脚本家として『京、ふたり』などのNHKの朝ドラ・『秀吉』などの大河ドラマ・多くの松本清張原作のドラマ・『ホタル』などの映画を手掛けていた。

○橘左近<寄席文字書家>(12月12日・89歳)

 橘流寄席文字家元橘右近の一番弟子で、師匠亡き後の寄席文字の第一人者であった。新宿末広亭の看板の書を手掛ける一方で噺家の系図研究家としての活動もしており、それに関する著書も出していた。

○棚橋静雄<「ロス・インディオス」メンバー>(9月19日・85歳)

 ラテンバンド「ロス・インディオス」のリーダー兼ボーカルとして「コモエスタ赤坂」「別れても好きな人」などのヒットを出し、ムード歌謡の世界で長きにわたり活躍した。

〇谷村新司<歌手>(10月8日・74歳)

 バンド「アリス」でのワイルドな感じとソロでの大人の落ち着いた感じで「チャンピオン」「昴」などの多くのヒットで長きにわたり魅了した。一方でラジオのDJでの洒脱なキャラでも親しまれた。

○団時朗<俳優>(3月22日・74歳)

 ハーフの美男モデルとしてCMで注目された後、特撮ドラマ『帰ってきたウルトラマン』の主人公郷秀樹を演じ、その後は多くの舞台で活躍。ウルトラマンシリーズの主人公では初の死となってしまった…。

○ボビー・チャールストン<元プロサッカー選手>(10月21日・86歳)

 マンチェスターユナイテッドの選手として昭和33年の「ミュンヘンの悲劇」(飛行機事故)を乗り越え、主将としてチームを立て直しチームの黄金時代を築き上げ、イングランド最高の選手と讃えられた。

○陳建一<中華料理人>(3月11日・67歳)

 「四川料理の神様」陳建民の息子で父亡き後四川飯店グループの社長・会長として四川料理の普及に務め、特にテレビ番組『料理の鉄人』では中華の鉄人として活躍し一世を風靡した。

○辻村寿三郎<人形作家>(2月5日・95歳)

 独創的な作風の人形作家としてテレビ人形劇『新八犬伝』『真田十勇士』の担当で知られ、他にも蜷川幸雄演出の舞台・宝塚歌劇団の舞台の衣装デザインを手掛けるなど人形制作にとどまらず多岐にわたり活躍した。

○土田よしこ<漫画家>(9月15日・75歳)

 赤塚不二夫門下のギャグ漫画家で、「週刊マーガレット」で連載された『つる姫じゃ~っ!』は少女漫画誌に型破りなギャグを持ち込んで人気を博し、作品は後にアニメ化された。

○つばめ真由美<「ザ・リリーズ」メンバー>(1月24日・62歳)

 双子の姉妹アイドルデュオ「ザ・リリーズ」の妹の方で、昭和50年に「好きよキャプテン」をヒットさせ昭和50年代初期を中心に活躍。デュオ活動再開以降はステージや故郷夕張の振興活動を行っていた。

○津山登志子<女優>(3月12日・69歳)

 少女雑誌『りぼん』のモデルを経て女優となり、幅広い役を演じた事から「トランジスタ女優」と呼ばれて活躍した。また歌手の角川博の元妻でもあった。

○寺尾常史<大相撲元関脇>(12月17日・60歳)

 井筒三兄弟の末弟の細身の美男力士で、激しい突き押し相撲で昭和末期から平成にかけて絶大な人気があった。現役引退後は錣山親方として阿炎・豊真将などを育てたが、亡くなるのはまだ早いよ…。

○寺沢武一<漫画家>(9月8日・68歳)

 昭和53年に連載開始されたSF漫画『コブラ』はその後アニメ化され海外でも知られるくらいの人気作品となった。しかし最後の四半世紀は脳腫瘍と闘いながら描く日々であった…。

○寺山(宮本)恵美子<元バレーボール選手>(12月7日・86歳)

 日紡貝塚の選手・俗に言う「東洋の魔女」の一員として左からのアタックを武器に「世界一のアタッカー」として活躍、昭和37年の世界選手権優勝および昭和39年の東京オリンピック金メダルに大いに貢献した。

○遠山一<「ダークダックス」メンバー>(9月22日・93歳)

 コーラスグループ「ダークダックス」のベース担当としてゾウさんの愛称で長きにわたり活躍。この方の死によってダークダックスのメンバーは全てあの世へ旅立っていった…。

○外山雄三<指揮者・作曲家>(7月11日・92歳)

 日本を代表する指揮者としてNHK交響楽団を中心に活動する一方で、作曲家として「管弦楽のためのラプソディ」などの多くの曲を手掛けた。更にその一方でテレビのオーケストラ番組の司会も務めていた。

○豊田章一郎<トヨタ自動車名誉会長>(2月14日・97歳)

 昭和57年にトヨタ自動車の社長に就任し、会社単独でアメリカやイギリスなどに工場を設置し海外生産の強化を図り会社の国際的な発展に貢献。平成6年には自動車業界初の経団連会長に就任した。

○中利夫<元プロ野球選手>(10月10日・87歳)

 昭和30~40年代の中日ドラゴンズの俊足好打の選手として昭和35年に盗塁王・昭和42年に首位打者のタイトルを獲得するなど大いに活躍。現役引退後は中日の監督及び広島東洋カープのコーチを務めていた。

○中真千子<女優>(3月4日・86歳)

 宝塚歌劇団を経て東宝の専属女優となり映画『若大将シリーズ』(主演 加山雄三)の若大将の妹役を中心に活躍、その後はテレビドラマを中心に長きにわたり脇役として活動していた。

○永井路子<作家>(1月27日・97歳)

 女性向け雑誌の編集者を経て昭和39年に『炎環』で直木賞を受賞、その後は『北条政子』など歴史小説を専門に活躍。NHK大河ドラマ『草燃える』『毛利元就』の原作もこの方の作品であった。

○中島貞夫<映画監督>(6月11日・88歳)

 映画『まむしの兄弟シリーズ』『日本の首領シリーズ』『極道の妻たちシリーズ』『木枯し紋次郎』などヤクザ映画や時代劇を手掛け、昭和40年代以降の東映映画を飾った名監督として活躍した。

○中条比紗也<漫画家>(10月12日・50歳)

 漫画家として主に漫画雑誌『花とゆめ』で活動。特に平成8年連載開始の『花ざかりの君たちへ』は8年も続く代表作となり、後に台湾をはじめ日本・韓国でもテレビドラマ化された(台湾が最初のため)。

○中西太<元プロ野球選手>(5月11日・90歳)

 1950年代の西鉄ライオンズ黄金時代の中心打者として豪快な打撃で大いに活躍しパリーグを代表するスラッガーとなった。引退後は監督・コーチを務めたが、特にコーチとして多くの名選手を育てた手腕は高く評価された。

○中野和雄<漫画編集者>(7月中旬頃・77歳)

 「週刊少年ジャンプ」の編集者として多くの漫画家の担当として活動。『キン肉マン』のゆでたまごを発掘し、同作品の「アデランスの中野さん」のモデルとして知られ(特にアニメで)国民に広く知られるようになった。

○エドソン・アランテス・ド・ナシメント(ペレ)<元プロサッカー選手>(昨年12月29日・82歳)

 華麗なテクニックのプレースタイルで母国ブラジルのプロチームでの長きにわたる活躍はもちろんワールドカップでも母国の3度の優勝に大いに貢献。その活躍から「サッカーの王様」と称えられた。

○那智わたる<女優>(7月21日・86歳)

 宝塚歌劇団の男役トップスターとして1960年代を中心に活躍し「マルさん」の愛称で熱狂的な人気となった。その後も女優として舞台を中心に活躍、一方で佐藤文生元郵政大臣の妻でもあった。

○夏まゆみ<振付師・ダンサー>(6月21日・61歳)

 モーニング娘。やAKB48の育成・指導・振り付けを行い平成に入って以降低迷していたアイドル文化を蘇らせる事に大いに貢献。一方で他のアーティストの振り付けやダンススクールでの指導などの活動も行っていた。

○奈良岡朋子<女優>(3月23日・93歳)

 劇団民藝の看板女優として・現代日本を代表する新劇女優として類まれなる演技で長きにわたり舞台で活躍。舞台のみならず『釣りバカ日誌シリーズ』などの映画・『おんなの家シリーズ』などのドラマでも大いに活躍した。

 

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