昭和歌手列伝・34 灰田勝彦 | 郵便局員のごった煮よもやまブログ

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◎灰田勝彦(明治44年~昭和57年)(紅白歌合戦6回出場)

○主な名曲<昭和11年>「ブルームーン」

       <昭和12年>「雨の酒場」「真赤な封筒」

       <昭和15年>「燦めく星座」「こりゃさの音頭」

                「森の小径」「お玉杓子は蛙の子」

       <昭和17年>「ジャワのマンゴ売り」「鈴懸の径」

                「マニラの街角で」「新雪」

       <昭和18年>「バタビヤの夜は更けて」

       <昭和19年>「加藤隼戦闘隊」

                「ラバウル海軍航空隊」

       <昭和22年>「東京よさようなら」「紫のタンゴ」

       <昭和23年>「東京の屋根の下」

       <昭和26年>「水色のスーツケース」「野球小僧」

                「アルプスの牧場」

       <昭和28年>「新橋駅でさようなら」

○ハワイ生まれで12歳の時に帰国、立教大学在学中に兄のハワイアンバンドに入り歌の道へ。昭和9年緑川五郎の名でテイチクで初吹き込み、昭和11年ビクターと契約し本格的にデビュー、翌年「雨の酒場」「真赤な封筒」がヒット、昭和15年には出演映画の主題歌「燦めく星座」が大ヒットして人気を不動のものにする。ハワイアンを基調とした歌声で戦前・戦後を通じて活躍、歌だけでなく映画出演も多かった。


「ハワイ生まれの江戸っ子」と表現される灰田さん、いつまでもはつらつさを失わない万年青年的な爽やかさがありました。

ハワイアンから入ったので高音の甘い歌声に定評があり、時にはハワイアンの人なのに「アルプスの牧場」でヨーデルを使ったり、戦時中ハワイアンが歌えない時期は当時占領していた東南アジアを舞台にした歌(「ジャワのマンゴ売り」「マニラの街角で」「バタビアの夜は更けて」)を歌ったり、「加藤隼戦闘隊」などの軍歌を歌ったりといろいろやってました。

また「野球小僧」のヒットがあるように大の野球好きとして有名で「僕は野球をやってる間に歌っているみたいなもんだから・・・。」と言ってるくらい公演の合間に野球をやってるくらいであった。別所毅彦(元南海→巨人)とは義兄弟の間柄で、「ハワイ生まれの江戸っ子」も元は別所さんが評したものであったそうです。

私が小学1年生の時に亡くなられたのでリアルタイムでは見ることが出来なかった、その2年後に亡くなった霧島昇さんはリアルタイムで間に合ったのを考えると、あともう少し生きてくれたらとは思うのだがこればかりは仕方がない・・・そして明日は灰田さんの命日(29回忌)になります。