2021 夏 京都の旅26 鷹峯3 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2021 夏 京都の旅26
鷹峯3

8/20(金)③
 常照寺を後にし、光悦寺に向かって歩き出すとまもなく出逢うのが源光庵だが、ここは今、閉めていて入れない。かつて、といってもすでに四半世紀ほど前のこと、このあたりを訪れた憶えはあり、探せば写真くらいは出てくるかも知れないものの、光悦寺に関して残っている記憶は「光悦垣」くらいなもので、他はすっかり失せている。当時はこのように、旅の記憶をとどめる作業などしていなかったから、無理もない。

 光悦寺は住宅地の一画に突然、といった感じで現れたが、まず、楓並木の参道が素敵だ。地面を覆う苔の鮮やかな緑と、一直線に続く石畳の参道、これに今は青葉だが、晩秋には真っ赤に染まるであろう楓の葉が生い茂る。気が付いてみると、ここには撮影禁止の札が立つが、すでに何度もシャッターを切ったあとだった。


光悦寺の入り口にある参道

 ハイシーズンの、殊に紅葉の季節は、その絶景を頭に浮かべたとき、それを求めて訪れる客の数が尋常でないことは容易に想像できる。いいアングルを求めて苔に踏み込む輩がいないとも限らず、やむなく撮影禁止にせざるを得ないのだろう、と勝手に解釈したがいかに。

 すでに陽は高くなり、暑さが募ってきた。緩い傾斜地に広がる境内の庭園に踏み込むと、順路に沿う光悦垣は確かに憶えがあるが、いくつもの茶室が次々に現れたのは記憶から飛んでいたせいで、意外な気持ちになった。一画に本阿弥一族や、それとは別に光悦本人の墓所もあるが、元はその屋敷だったというのには何となく首肯できる。つまり、多くの衆生に開かれた寺院、という趣とはいささか違う印象があるのだ。


境内の様子。下は光悦の墓

 

 光悦の本業は刀剣だが、書や茶、そして陶芸、作庭をはじめとする、総合芸術家としての側面を持つ。鷹峯は、光悦を慕う人たちの集う芸術家村を構成していたというが、その中心となったのがここだった、という解釈は、間違っていないはずだ。いくつもある茶室だが、元は工房があった場所かも知れない、という想像もまた、まあ許容の範囲だろう。

 この広い庭園の借景となっている、鷹峯山と鷲峯山は、二つながら極めて優美な山容で聳えていた。



鷹峯山と鷲峯山

 

 章湖は、かつてここで楽茶碗などの展示を見た記憶がある、というが、あるいは、庭園の入園料を払った場所にあった本堂と、それに連なる建物がかつては公開されていた、という事情でもあったのか、それともただの記憶違いなのかは、すでに確かめる術がない。

 光悦寺を辞して参道を出ると、向かいにあるのが圓成寺、ここも楓が沢山植えられていて美しく、境内の奥には滝も懸かるなど、景勝地として素晴らしいが、境内全域に撮影禁止の札が立つ。残念ながら、やはり多すぎる観光客への対策だろう。

 

 

 



2021 夏 京都の旅27につづく