2021 夏 京都の旅25
鷹峯2
8/20(金)②
一応の目標は光悦寺に定めていたが、茶花園のおじさんに道順を教えてもらい、ぶらぶら歩いて行く。初めは細い路地だったが、しまいにバス通りに導かれる。これを左に折れると、まあ、何の変哲もない住宅街の道だ。光悦寺とは違う方向だったが、まず、常照寺に寄ってみることにした。
吉野太夫が寄進したという「吉野門」
朱塗りの門につづく参道がいい感じだ。この寺のことはほとんど何も知らなかったが、吉野太夫の墓があるという。山門も太夫の寄贈とあって、どうやらその生前から関わりがあったことが窺えた。芸伎や花魁というのが当時どんな存在だったのか、もう一つ、感覚として上手く掴めないが、太夫と呼ばれる存在は別格で、芸もさることながら教養も高く、尊敬を集める存在だったと聞いたことがある。吉野太夫はことに法華経の信仰が篤かったといい、そんなことからすれば、寺との結びつきにも納得がいく。
しかし、身体を商売の種にもした女性に門戸を開ける一方で、女人禁制を布いていた、という仏教のメンタリティーには、未だ理解の及ばないところもある。小乗と大乗のせめぎ合いがずっと残る、あるいは、修行における煩悩との葛藤、ということがあるかも知れないが、「煩悩即菩提」という前提に立てば、それはおかしなこと、といえないか。お釈迦様は、これをどう見ているだろう。
境内にある吉野太夫の墓
それはともかくとして、ここ鷹峯では毎年、花魁道中が行われる、とどこかで聞いたことがあったが、正式には「吉野太夫花供養」と呼ばれ、それは太夫の供養を目的として行われる行事だった。本堂に連なる建物でそのビデオを見たが、現在は、おそらく吉野太夫の後継という位置づけなのだろう、島原太夫と呼ばれる女性を中心に行列が行われている。
「吉野太夫花供養」の模様(京都ツウ読本より転載)
この行事は、発祥が60数年前ということだが、そこにどんなきっかけがあったのだろうか。大河ドラマで取り上げられて話題になって、という図式はありがちに思うが、大河ドラマはそれ以降の、1960年代から始まっているので、ちょっと違うようだ。
境内には楓が多く、晩秋の絶景が約束されているようなものだ。今は特殊な時節だけに、他に参拝客も見えず、静かに散策を楽しめたのは幸運だったといえるだろう。
楓の多い境内
吉野太夫が好んだという、満月がわずかに欠けたような姿の窓がどこかにあるはずだが、と思って境内を歩くと、それは「遺芳庵」という建物に、覆いが掛かって隠されていた。我々はちょっとめくって確認したが、正常な時であれば、数多くの観光客が訪れるだろうから、何か保護策を講じる、というのは避けられないと思う一方、その美しい景色がビデオの中で紹介されるのだから、何か鑑賞に供する工夫が欲しい、と思ったのは一来訪者として自然な欲求だろう。
「遺芳庵」の窓
境内の外れ、小さな門をくぐって階段を降りると、小さな池があった。ここに白馬観音が祀られていたが、これにどういう縁起があったのかは、すでに思い出せない。
白馬池
池の畔には、見たことのない、黄色の糸トンボがとまっていた。
「キイトトンボ」という種らしい
2021 夏 京都の旅26につづく