2023大阪の旅42 大阪歴史博物館1 | 楢丁(YOUTEI) 旅の話

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趣味で書きためた旅日記が、膨大な量になりました。2020秋に脳出血、2023には食道癌を発症と、様々なことが起こりますが、克服してまた旅に出たいという気持ちは変わりません。
お付き合い頂けたらありがたいです。どうぞよろしく。

2023大阪の旅42
大阪歴史博物館1

1/7(土)②
 今日のターゲットは大阪城公園。天気予報はともかくとして、とりあえず出発の時には晴れていた。

 

 ここへの行き方はいろいろ考えられそうだが、まずは、地下鉄を谷町4丁目で降り、公園の南西端に位置する大阪歴史博物館へ。ここはNHK大阪放送局と隣り合わせになっている、半円柱状のモダンな外観、外には復元された、難波宮があった頃の蔵が建つ。


半円柱型の建物が大阪歴史博物館。この時はまだ青空だ

難波宮の頃の建物を復元している

 

 入り口にレストランがあったが、まだ開店前。造作を見る限り、入ってみようという魅力には乏しい感じがした。

 展示室への順路は、まず一気に10階まで上がって、徐々に降りてくるということになっている。その10階部分にあったのが、かつての難波宮を再現した、原寸大ジオラマ、とでもいうべきものだ。朱塗りの太い柱の立てられた宮殿に居並ぶのは、威儀を正した高級官僚たち、天皇の朝見の儀の様子だろうか。



天皇の朝見の儀の様子

 外がすっかり見渡せる大きな窓からは、難波宮の遺跡を見下ろすことが出来る、という造りになっている。そう言っては何だが、記憶の中の日本史では、飛鳥の次は、もう奈良時代に飛んでしまい、文化史的には白鳳~天平という歩みが残るばかり。藤原京や平安京遷都前の長岡京、などという都の名が思い浮かばないわけでもないが、難波宮という文言は、むしろ万葉集を読んだ時に出てきたかも知れない、という程度で、歴史上の位置づけがどのあたりなのかさっぱり、という自分が情けない。


道路の向こう側に難波宮の遺跡

 大きくは2度造営されたというこの難波宮だが、前期が大化の改新後、後期が平城京の副都という。近年まで発掘が進んでおらず、文献にのみ残されたそれを、戦前、戦後にかけ山根徳太郎という考古学者が、執念で発掘し、所在地を解明する物語が紹介されたコーナーがあった。

 


執念の人、山根徳太郎氏

 こんなのを目の当たりにすると、ハインリッヒ・シュリーマンのことが脳裏に浮かぶが、あの人は財宝目当てだった、とどこかで聞いたことがある。

 

トロイ遺蹟に行ったときの記事


 奇しくもこれが大阪城公園の南側、東西に走る道路を挟んで、内裏と大極殿の旧址が見える。上古と中~近世の、日本の最高権力者が都に選んだ土地が隣接してある、というのだから、ここには何か秘密がありそうなものだが。


難波宮旧址を撮影した、同じ場所から角度をちょっと変えると大阪城である



2023大阪の旅43 大阪歴史博物館2につづく